文化の王道

文化の王道

名をとるか、実を取るか等という事がしばしば言われる。前者は、名誉や面子という恥のない振る舞いに価値を抱き、行動や判断の基準にされる姿を指し、美感という模範的なビジョンを備えてそれに適合させる制御本能となり、後者は、お金の入手に拘り、少々みっともない振る舞いに至っても、実を取ればよいとする基準を優先させる行動の原理という解釈が現れます。

確かにこうした区分で事象の性格を映し出す事にも実感が生まれ、因果関係の違いを捉える事に及びます。しかし文化という統合的長期性の発想に立てば、両者を区分させる事には筋道の歪みと映し出され、名と実は不可分の整合在る論理として配されて、真価を付ける事に快適感が生まれます。

横綱相撲といった横綱らしい技の在り方等が人々のイメージには備えられ、がっぷり四つに組んだ堂々とした取り組みにより相手を打ち負かす事が、一種の美感になり、横綱が蹴手繰りや猫だまし等を用いて勝利しても、みっともなく、価値は半減し、そこまでしてポジションを死守しようとする根性が、相撲自体の面白さを下落させて、領域の活力や存続自体を危ぶませる。長い目で見ると、美感に合った振る舞いが、実に繋がるという例として描かれます。

こうした焦点が、産業経済や政治行政にも当て嵌められ、純粋性の高い美感という面の維持に根源の価値が浮かび、目先の実へと偏った発想が、領域自体の信用を失墜させ、衰退への道へと進行させる。利便性や機能という即効性の高さへ安直に飛びつく事へのマイナス面として指摘される。

物理性という剛力性に、しなやかな柔軟性とが合わさって、人間のアナログ的情緒性とデジタル的な物理力との適当な調和感覚が生まれ、そこに本能的な美の実感が現れ、両面のハーモナイズした描写に深い感慨が示され、長い快適性と及んで、文化や文明という所与的な型式へと内蔵される。

こうした長い感受性が萎む事への問題認識を取る事が、良好な価値を維持する事に連なり、

感受性の衰退化現象に待ったをかけ、豊富な創造力を湧きださせると共に、寛容性の幅が持続し、窮屈で神経質な感度を和らげ、片面に寄った体質の予防に及ぶ。

以上の点が美感への拘りを抱く事の意義と成り、感覚への過剰な進行を制御させる為には、このような発想や論理を常設的な秩序と固められ、各種の創造行為を繰り広げる事が不変の原理と描かれます。供給型と需要者側とに、この感性が内蔵されて、需給構造という市場が創り上げられる。生活者感覚とも言う立場での重層認識を持った人間像で表され、文化論からの各種ビジョンとなり表現されます。

恥の文化という面がより強調させて、正常な健康状態を下にした軌道が太まり、横綱の振る舞いが増加する。肩書と振る舞い方のアンバランスをしばしば感じます。日本文化の根幹を揺らがせる事のない名実揃った歩み方に、真なる響きが持続する。ごっつぁんです。よりも、どすこい、どすこいというイメージでしょうか。世界的なトレンドと築く施策として本書の流通に至りました。

このような焦点が、人権擁護問題等への間接的な関わりか、或いは根源的な関わりに配され、直接的な対処策と共に進行させて実効性を生みだすように思われます。法律という厳密的、硬い形式による対立的な改善と合わせて、文化的な表現による美感の喚起から軌道の良好性へと及ぶという想像が浮かびます。直接的な指摘には抵抗感が強まり、間接的な発想の転換というアプローチが自主内発型の変化へと連なるかに思います。同質的な志向性を持つ各種の縦割り型の領域区分を縦横的に融合させ、力の集約へと作用させる全体図面の創造によって効力を高めるのが、今日的な課題と映ります。

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