3)感受性の持続とは

3)感受性の持続とは

一度逃げると逃げ癖が強まり、真っ直ぐな歩みを取れない発想で慢性化される。対象との真摯な対峙を外して、横道に逸れそれを正当化される負け犬根性が染みつき、これと見られると、もはや並列に無く下等な存在という認識が生まれ、この概念が固まり釣り合い感覚が作られる。対等という対象には見る事が出来ず、まともな向き合い方から外れた下等な存在となり扱うのが自然な感覚に思われます。

盗みや詐欺という下劣な行為に及んだ人間は真っ直ぐな軌道から脱線した弱い精神の持ち主と見做され、この強い印象が作られて信用を回復するには相応の時間が必要になる。

どんな人でも失敗する事があり、それについて逃げずに真摯な態度を表すのが、道から外れない信用の糸を繋げる。これを逃げると信用は切れ、人間の弱さを実感する事になり、そのだらしなさに緊張感は途切れて、本質的な性格を掴む事に成る。修羅場といった場面で、こうした人間の本性が現れ、人間力の程度が計りだされる。

本書で掲げました下限と準絶対則と積極策という構造の明瞭化は、この事を鮮明に観念化し、原理探求型の真理の道を貫く志向性を強め、二次三次の付録的要素を度外視し、純粋な原理の創造と適用を高め、根源からの人間性を叙述に掴みあげる事に成り、社会的な地位や知名度、所得の大小などという事は本質から外れ、素の人間力を計りだす尺度が生まれる。言論でいくら立派な事を並べても修羅場で逃げてはすべてがご破算になり信用を喪失する。ここに根源からの価値が示され真価を付ける感性が強まりを見せる。

調和の原理は、真摯な対象との対峙を固める不動則であり、表層的な事柄よりも質を追求する価値の上昇を意図するものであり、人間力を純粋尺度で計りそれに相応しい釣り合いを付け真なる響きを求める世界観を表す。この感性が逃げる発想から次第に劣化して誤魔化しの連続を生み、そうした発想や体質が深まり感受性の劣った人間へと堕落する。つまらない人間という認識が強まり視界から外れて、同質感性の人々の間で質の向上へと真摯な対象との対峙が繰り広げられ、切磋琢磨の快適を追求する領域が残る。それを最後まで貫いて大きな山頂に登りつめ真理を掴む事に及ぶ。原理探求への快適感が最重視される歩みに人間の最も輝く姿が現れ、物理欲に偏するほどにこの輝きを失い、誤魔化しの歩みへと入り込む。

最上の欲望と充足は、正直な感性と真摯な対象との対峙の持続性から感じ続けられ、物理性への依存型の向きからはこの快適感が喪失する。失敗をして謝罪するのは相手に向けてすると同時に、自身に向けて行われ、その誤魔化しのない自身の姿が自信に陰りを落とさず再起の道を持続させ、原理探求力の途絶えない力強さと生き続け真理の歩みが継続する。自己による絶対性の自己評価を成すのが後悔の少ない生き方に成り健全な自由を掴む事になる。日本文化原論の世界観と表されます。

健全な自由主義と適用

健全な自由主義と適用

基準と制御という物事を動かす基本的な方法と、水準の良質性という焦点が絞り込まれて、公平公正な運用が行われる。基準とする規定が、二次三次的な加工により創り出され、感覚的なゼロベースによる一次的な基準と離れる。過去事象の抽象集約から理論体系が作られ二次三次の原理が生まれ、そこからの発想を下にして個別を呼び掛け適用させる作業が生まれる。

原理は人々の感受性となる動機から、それを叶える方法の体系と固まり、それに忠実な適用を取る事が求められる。しかし実際は運用者の利益という私情が入り込み原理と適用の客観性を弱められる。この点が次第に慢性化して適正な基準の運用とかけ離れて、原理の意図する結果が生み出されない。或いは、原理自体が陳腐化して、形骸化したまま人的裁量で気ままな判断を取られ、私的利益を追求する結果、大きな利益を損ねる現象が生まれる。この2点が、基準と運用におけるマイナス事象と推察され、原理と運用者と第三者的な客観性を内蔵する仕組みが緊張感の持続に及び、適正な感受性の維持された運用を叶えられる。

慢性化された堕落状態に陥っては修復する事は容易でなく、程度を落とさないメリハリ感を持ち、的確な判断を後延ばしにされる事無く、健全な感受性に基づいた判定が望まれ、大きな影響に在る程にこの責任感覚が比例して、冷淡に振る舞えなければ大きな利益を損ない、この覚悟のない者を責任ある配置におけば甚大な被害へと拡散される。お友達感覚の弊害が生まれ原理探求型の感度が落ちて各人の私情が進み公の利益を損ない、自己生産規定の自覚の弱い姿となって多大な迷惑を与えられる。

大きな欲望を求める事に対して、責任感覚を持続させる事の出来る自己制御性の高い性格に在って大きな利益の実現が叶い、この性格は感覚的な積み上げ体験を経て血肉化された観念が備わり、感覚と観念の健全な適用を取る体質が作られる。原理の精神と離れて楽な方に逃げる判断が運用を歪め、保身型の流れで回り、器と人間の乖離という客観認識を取らずに自己正当化する発想がしばしば現れる。

机上の学問に偏重して単純な評価で判断を生み、人間の芯を創り上げる体験を軽視されるとこのような事態を広げられ力と責任の不均衡が拡大する。

健康な規則性は、感覚と観念を対人との交流から程良く回し、需給関係の緊張に在って、自他との適正調和を作る習慣により創り出される。規制による保護や特殊技術の保有から、一方向の力が強まると健全な感性が崩れて下限の善悪という制約にも鈍感になり適正なギブアンドテークの感覚も狂い、物性に依存した体質が固まり、暴走への歯止めがないとそのまま慢性化して大きな損失を齎せる。

基準を常に純粋な心持から上昇させる建設的なエネルギーを生みだし続けるには過剰なストックが弊害に成り制御可能な感性を下落させ、力の利用から力の依存となって良好な運用から離れ、利益を生まず利益を奪う主体性が生まれる。これらの改革には新鮮な感度を持つ主体によって違いを明らかにさせ、強い健康な感受性に基づく向上心による基準の更新によって体質改善への加速に及び、犯罪感覚への適正な感度を形成する事が初動に成り、制御感覚の健全な水準に在って、積極的な創造策へも良質な動機による強い論理が現れる。

抜け道や、小手先の発想が常態的な感性に染まった状態を戻す事は容易でなく、基準とする感性から適正な強弱による対処が少なからず要るのでしょう。大きな力を望むのであれば等しい責任が課せられる。この原理が持続的な健全性に不可欠となり、文化体系の柱に備えられ有機体の正常な動きと描き出されます。

下限の犯罪は一発アウトで在り、更生期間を持たせて工程を省略した分を課すことで適正な感受性が作られる。欲望に等しい対処が生滅不可分の原理を重んじた運用になって平等思想の実現と解されます。

誤魔化しは一切通じず他人を欺いても自身の事は自身が最もよく解り、その姿は鮮明に外界から察知され違和感の強い力んだ姿を見せられる。健全な感受性を堅持されてきた人々との相違は明瞭に現れ、社会の自然律として回る事で、ミクロの健康な感度からマクロの変革に及ぶかで、有機体の良質性へと進行する。大きな力の所から変える手順が適当なのでしょう。以上が健全な自由主義という原理に基づくマイナス面の改善策になり、これと同時にプラスが前面に現れると予測されます。

インフラの本質的な役割は適正な主体性概念を持って、身体の歪みを常に補正させる事であり、この基盤の堅持にエネルギーが投じられて前進面やプラス創造の弊害を取り除くという範囲が実際的な比重の高い役割に映ります。こうした人間像を描き出す事自体が積極的創造策の範疇になり文化活動からのアウトプットと配されます。

犯罪者は間違っても表には出てこられないでしょう。みっともなくて。