文化感覚

学校のホームページを見ていると学長さんが素晴らしいご挨拶を成されている。でも、文字が多くて、それが一つのストーリーに回らずに、言葉が躍っている印象を少なからず持ちます。その学校の求人案内に目を通すと、ご挨拶と対外的に向き合われる姿勢や態度に大きなギャップを感じ、この辺りに学校や教育者に対する不快的な感情が現れる。頭と感覚のバランスを崩した表現への違和感を持ち、一般的な生産者との感性の違いが顕著に現れ、理念と実施工程の循環性の弱さと映り、度々の衝突が予測される。

言う事と実際行為との整合や実感性の違いが不協和の原因になり、各種領域の感性と領域間の相違からギャップが生まれる。或いは経営者と従業員という相違から感覚の違いが作られる。この横の動きと縦の感度という構造から感受性の作られる因果が浮かび、異同の理解や許容が生まれる部分と、あまりに離れた部分への不快に対して平準性への作為が生まれる。

このような教育産業の性格が、法律や政治、マスコミの世界にも同様的に映り、言論表現と実際行為の乖離に正常値と外れた感覚が生まれ、これが中局的かつ長期的な構造上の問題と感じます。高らかに良く整理されない理念を謳い、文字ばかりが踊り何が言いたいのか良く伝わらず、感覚工程を経ないで生まれる表現と推察され、そこから何を学ぶ事があるのかといった評価に及び、上物が妙に煌びやかで内実の薄い実態が知覚され不快感と現れる。人間形成上の誤りのような感覚が生まれ、この部分に犯罪体質という言葉が当てられる。

教育や政治という改革への中心焦点と浮かび、又は、物理感覚の浸透された経済人から生まれる短変数の感受性という両極に対しての違和感が文化という観点を備えると鮮明化される。つまり、文化感覚は汗水をたらして言行の整合に快適を抱かれる人々の通常的な感性であり、この質の違いを問題とする事は正しい改善の焦点になり、立派な挨拶と運用の違いや、言葉が行為の循環として伝わらない不快感覚は、正常な活動に在る人々の自然感性から現れる。

単語自体は沢山の種類を使われているようですが、全体の有機性がまるで弱く、バラバラの文章を見せられても何も響かず、これに陥らない健全な心身を持続する活動として、本書が作られました。

健康な欲望の姿

 

原動力は、人々の笑顔を見たい。という部分も少なからず持ち合わせ、偉くなりたい、金が欲しい。という要素を持つのが自然であり、どっちか一方の感覚には、違和感が生まれる。これが美醜的要素を併せ持つという人間の認識に則った表層に浮かぶ感覚であり、ここに長期性の健康像が現れます。実態的な均衡や中庸という標準感覚であり、自他との適正調和の状態と描かれる。

提供した利益に対する適正負担がないと、良くしてあげたいという気持ちに対するお返しに不足感が浮かび、気持ちを減らして適当なエネルギーに修正される。これが収益とコストに対する利益率の概念で表され、この一定の目安が経営の適性を計る基準に成り、持続性が果たされる。

収益から原材料費、労務費、販売管理費、金融コストを差し引いて、組織活動としての付加価値が残り、法人の生産性が表される。投資に対するリターンの適正な水準が、外部環境の調達コスト等から算定され、一定の落ち着いた利益率がはじき出され、市場との過不足のない均衡感覚が生まれる。

これがマクロ的に見る気持ちとお返しの適正感を作り、過剰も不足もない適当という感度に及んで持続性を持つ状態と表される。法人としての活動の適正感覚と、個人としての適正感覚の比例的な反映が生まれる。

つまり、善意型の感情と付加価値の創造と適正なリターンによって、健康な感受性の持続が叶い、心身の健康が持続し、そして、もっと欲しい、名誉も欲しい、という気持ちが生まれて自然であり、良好な価値の提供を根拠にして、これらが叶えられる。

この成長願望を思うままに発揮して、標準感覚に対する守りと攻めの範囲の想定感覚が備わり、挑戦を成すのが躍動感の根に成り、ここに感受性が現れる。標準感覚は感受性の現れない通常感覚を指し、過不足の時に喜怒哀楽感が生まれ、それが動きを作る起点に成る。

マイナスをプラスへと変え、過剰なプラスからは抑制へと働き、感受性の制御が生まれる。このような動態に在るのが人間の生きた姿であり、正負や明暗、緊張や緩和という二つの要素を行ったり来たりする所に生身の姿が実感される。

これがある意味において、長期の普遍性であり、美醜を併せ持ち、そして美への志向を軌道にした活動であり、この過程で適正感覚という標準とプラス・マイナスの感度が作られる。下限の制約という万人的な価値を守り、積極的な価値の創造を行う健全な人間の動態が映し出される。前者には変容性が少なく限定性が生まれ、後者には、ダイナミックな活動性が生まれ、前進性のエネルギーをありのまま表し、欲望を叶えたいとされる事が健康な感性にある。下限的な制約はミクロ感覚の適正を表し、これを堅持した積極的な創造の感覚を持たれる姿に、一定の制御性を持つ理性が残り、物的性質に染まらない良質な感受性の維持された状態と映し出される。

表面を着飾り下限を超える性質は壊れた人間であり、この状態は看過せず取り除き、制約を持って積極的な欲望をそのまま表す姿には健康な人間の模範と示される。これを見間違えない事が適正な見識を備える感性であり、所与的な面がクリア-されていれば積極的な表現には縛りを課さず自己の生産に集中されるのが適当な姿と実感される。迷惑な人は人のやる事に邪魔をする。自分の生産に集中して磨きあげるのが正道であり、エネルギーの向き方や投じ方の歪みが問題視され正常な感覚を外す事のない普遍原理の強化が良質な軌道を弱めない成長概念として強調される。マスコミという業種の特性は、これに陥る構造的な性格を持ち、一般の生産者との異質性が生まれやすいように見受けられます。勘違いを生まないような仕掛けを外圧的に組み込むか、それを悪用する事象者や行政へも場合によって縛りを設ける事が要るのかもしれません。

哲学的思索の強化

科学と宗教の線引きはどこにあるのか。これへの答えを持たずに、これらの言葉を容易に用いられる所が、宗教的であり、根源思索の弱さを感じます。文系の要件定義の弱さは、曖昧な思い込みで論理を進め、理系の厳密性は実感の多様性を弱められる。このような相互の特性を抑えて個別的想定において、最良の表現を作るのが良き創造に連なる。

 論理の土台には哲学的思索が備わり、対置概念を作る前提の論理基盤が置かれる。この面への探究の程度が、土台感や骨格感、納得性の程度と現れ、実感性の深さに及び、調和性の程度を齎せる。何を持って空想か、科学的か、この厳密な規定の困難性の認識が備わり、用語や論理の組み立ての丁寧な作業と現れる。

 ちょっとしたズレからコミュニケーションの不協和が生まれ、亀裂が深まり修復の困難な状況を招く事を予防するのには、哲学的な思索の訓練が有効であり、「知るや作る対話する調和する」等々の基本動作を表す根源観念について、一定の教育や訓練が必要であり、この程度や有無が、人や自然へ対峙する基礎的構えを創り上げ、良好な関係作りの根元やエネルギーとなり、感受性の起こり方を生む。二次情報への過信という現象も、哲学的訓練を経る事によって、情報の信憑性や、裏付けの取り方に反映され、ゼロベースからの強い確信性を持った知の習得や形成に及び行為に連なる。

 読書の量を学習能力の尺度にする事自体がお粗末であり、情報を容れる基盤面という質の善し悪しへ視点が行かずに、粗雑な書きものや、興味の弱いものをただ量的に読んだ所で、実りの高い成果を生むには至らない。感覚と頭脳との程良い循環により健全な感受性が形成される。歪んだ精神性は、頭脳ばかりへ偏した体質から生まれ、良質な知の保有が弱く、或いは用い方の歪んだ行為を生みだし、ここが、犯罪をつくる初動的な原因に思われます。健康な精神状態の上に各種の行為が執り行われて、良質な活動に及ぶという観念を備えて、頭脳と体と感情の有機体を作り込む視点が肝要に思われます。

6)創造性の種類

6)創造性の種類

旧型発想に陥らず、健康な創造性への指針を整理する事も、良質性を見分ける有用な創造画に及ぶのかもしれません。

6-1創造の過程:創造を思い描くオーソドックスな型式は興味関心から着目、快不快で快の増進、不快の削減、試行を繰る返し、効用の確認、学びから再考と試行、

6-2創造の基軸:一次体験、二次体験、自身、他者

過去、未来、現実、空想、悲観、楽観、正と負、

6-3創造者のタイプ:過去の因果から規則性の確率を探るという頭脳的な理詰めが好きな性質と、場での感受性を創り上げる発想や志向のタイプと、付加価値を下げる人が生まれる。

6-3-1分析からの傾向則を計る事は、既成型の質を理解して、方程式を抽出して、そこに細かな変数の加減を行う作業であり、多くの場合この創造に成るのかもしれません。リサーチを繰り返し、規則性を抽出し、因果関係を特定し、意図する効果をもって的確な施策を投じる。

6-3-2これに対して、既成型の規則性とは異質性の高い予期しない発想を思い描き、新鮮な発見や気づきを生みだす性格の創造性、頭脳的というより、感受性的であり、感じる事が出来る事自体に大きな希少性や財産があり、物的生物的な万人的反応とは異なる情緒性の感覚、新設的な方程式を作りだす。

6-3-3もう一つがなんら創造的でないマイナス性の発想や物理性に依存した盗みで、ちょこちょこと小銭を稼ぐ負の存在。集中力や自身のエネルギーが弱く、ヤドカリ体質で安直ないいとこ取りで世渡りするタイプ。これが迷惑な要らない人。

 

 

文化という領域規定

批判を活発にされる事は結構なことである。同時に、発言者自体の制約を強める事に成り、批評と同時に理念を公に掲げる事を示す。相手方に求める事は必然的に自己を縛り、自他との調和を作る基準が鮮明化される。この辻褄が合って、言行の整合在る主体性が生まれ、人格の実証という認識が生まれる。

文化の観点は、快適な空間秩序を形成するのに、必然の不動的な原理を表し、長期的な社会基盤の良質性を意図した原理の創造を主たる領域に取り、万人平等の観点から、相応しい論理を形成し広く訴求して、規律の整う社会関係を生みだす上での有用な役割に成り得る事と思います。

各種立場から利害が衝突し、自己生産の正当性が訴求され、その背後には、理想となる人間像が備わり、特定の生産行為との整合性を所与とした利益の主張が投じられる。

言行の整合や影響と責任という観点を基軸にして、各種欲望が表明され、その正当性をどのような論理で固められ、要望を充足するかという行為が、多くの表現者の意図する事であり、人々との論理の異同が確認される場に、メディアという空間が位置づけられる。

その場の提供者についての性格の吟味という焦点が生まれ、各種主張を取り上げる上での基準を事前に公表されて、場を持つ事への影響と責任を果たして、一定の信用が生まれ、公明正大な立ち居振る舞いが求められる。影響力の程度によって、その厳密性や公開性の程度が変わり、期待と要望の持続的刷り合わせを持ち、需給が合って場の持続が果たされるというのが、平等思想を価値と備えた原理の応用と解される。

恐らく、このような理屈の筋道に万人的な不動性を持つ共通性が生まれ、こうした性格の論理に根本価値や普遍性という原理の認識が生まれ文化という人々の基盤的な価値が浮かび、その認識が強まるほどに、それを前提にした批評や行為が生まれる関係で表されます。

直接的な主張に対して、この基盤的な主張という点に注力して、論理を描き出す作用が、各種の欲望に規律や統性を与え、極端な感受性への抑制や建設的挑戦への許容性を示し、根源的な観点から純粋性を帯びた提案が執り行われる。

以上のように個別と共通に対する根本的な地層による活動の性格が示され、経済や政治という視点に、文化の観点を併せ持ち、局所的な事象に根本基盤の理論を充てて一定のクオリティーを持つ強固な主張が創り出され健全な表現をもつ品格を保った創造が展開される。

文化にも需給構造が備わり、期待と効用の関係で対価が生まれて、緊張の持続する創造が遂げられる。特権的に見下ろすような行為は認められず、需給の原理があらゆる生産の根本原理となり快適な活動が作られる。文化という主張もボランティアではなく、有用性を主張して持続的改善の性格に在り、そこには対価が生じて持続可能な活動に成り得る。このような論理の上に中立という概念が生まれ、概念の中身自体と、事前の尺度を鮮明に表し忠実な適用を執り行うという2つの意味が生まれて、良好な価値の実現に及ぶと思います。メディアや行政、個々の主張に対して、文化という立場からの活動が、現代の時代状況において、潜在的顕在的な人々の要望と映ります。

 

旧型発想の脱皮

物的要素で距離を設け優位な立ち位置を確保するという発想には、文化活動の資質は乏しく生計の設け方に歪んだ手法が濃厚に含み、自己生産性を磨き自尊心を持ち、堂々とした社会対話を築こうという姿勢にない。

原理を追求し、それへの純粋な評価を公平公正に取ろうというスタンスにない立ち居振る舞いには、利己的な欲望へのエネルギーが強く、歪んだ手法による管理型の体質を顕著に見せられる。旧来的な政治的行為という物理原理で支配的な論理を描かれる。

この規則性を常態的にもつ環境に身を置くと、その感性が自身の原理に備わり、技術追求型の発想を弱められる。外に向けた技術の提案という軌道を主軸に取り、内向きの管理発想を先行させない所に、健全な心身が確認され、原理探求型の長期的な人格を根に持つ主体性という認識に及ぶ。

間に何かを容れたがり、優位な立場を主導しようという発想は、現代人としては旧型であり、自己の歩みに自信のない姿を表し、小手先性の発想を常態する体質と浮かび、腹の底を顕著に示す姿と知覚される。良質な対人関係を志向しない対象との分断性を好まれる志向性に在り、原理創造型の客観的な自他の評価を志向しない所からは、良い気流が増進せず、支配願望ばかりが進む歪んだ空間秩序を増進させる。

旧型の政治家やマスコミという領域の原理であって、無能な管理職にも度々現れる姿であり、自己生産への真摯なエネルギーを投じられて、地に足のつく自尊心が生まれ、その確かな歩みから、根源的な層からの原理への適正な計りを持つ、公明正大な態度が生まれる。

単純物性寄りの原理に陥らない理性の所在が確認され、ここに良質な前進性の建設的な秩序が増産される。外堀を埋める等という事がしばしば言われる。発想としては二次三次的な相手方の性質によってはやむ負えない手法であり、本筋とは外れた対象との向き合い方であり、この政治的手法ともいう形からは信頼形成に及ばず、調和性を求めない単純な利己的性質を常態される道の歩み方であり、フラットな感性を堅持される文化基盤のない経済人といった性質に映りだされる。

政治も経済もこの発想が濃厚に占めれば、物性の狭い世界での流れが支配的に成り、見せかけの虚像や安易な盗みによる手法での生産へと走り、原理自体を磨きあげ真理を高める軌道を弱められる。堂々とした文化と外れた三流発想からの脱皮が、健全な心身を表すものと思います。規格量産模倣型の発想から、根源性と全体観のオリジナルな構築力を創り上げ、独自の尺度による計りを持ち、それに忠実な対象との関係を作り出せるかに、主体性の向上が実感される。

道の歩み方の相違から、同質的な感性を持つ人々のグループが出来、物性と理性の割合感覚として浮かび上がる。犯罪や管理偏重は自信のない逃げを常態する人間から生まれ、自分に自信を持つには、根源からの思索をもち、独自の体系を築く事が要り、本書はこれに有用な観点を提供できるものと思います。

真理探究の道-普遍性と個別性の循環

良い文章や表現とは淡々と事象を列挙し、高所大所やミクロの感覚との開きの少ない公平公正な姿勢を持ち事象を浮かび上がらせ適正な要求を述べられる。過剰感も不足感もない正しく適当という実感に及ぶ表現に至り、説得感がずしんと日毎に進む自然な力強さという響きが生まれる。

原理探求型の真摯な姿は、物的諸条件という二次的要素を排して、人々の健全な理性に基づく適否の判断を導く提起と届き、物事を自然に動かされる。着色や力みがなく、標準感覚を柱に添え無私の境地から利益を求める批評には、迷いや邪な発想が微塵も映らず、ただ真理への到達を意図した良質な表現と映りだされる。

時と場所と内容がピタリと在った表現から、スッーと複雑化した物事へ一筋の規律を与え適当な方角や動きを進められる。この感覚が僅かでも残り、日々の複雑な利害関係から生まれる軋轢へ聖歌のごとし光を翳す。

多くの場合、特定の生産行為から利害が生まれ、万人から見た中立や中庸というスタンスをとる困難さが生まれ、聖人という感覚に届く表現はなかなか現れる事はない。しかし、特定の立ち位置にあっても、この諸条件を排した原理への欲望を抱き、物的原理とは異質の純粋理性から光明が照らされ、そのフレームに自他を公平に乗せる事の出来る感覚を残す事が、人や自然との永続的な対話に連なる要に思われます。

特定生産という対象と技術の限定と、最大分母に近い感覚による表現との2つの構造を備える歩みから、自己生産への磨きが掛けられ、或いは邪道に外れない持続的成長の軌道が確保される。文化という長期的な規則性に成り得る自己生産への道を模索する事が良質な生存や調和に連なり、客観尺度と客観適用の取れる感受性の持続に精神的な充足が生まれ対象との力みの少ない調和が進行する。

犯罪という事象は、この道から逸れて生まれる行為であり、真理という世界の探究心と個別事象との異和感の少ない適用を取る事の出来る構えを、常時体質化するような施策を意識的に作る欲望が高まって物理性への過剰な依存や無惨な事象が回避され根本の価値が作られる。個別と共通と根本という価値の構造と持続的な探究活動が、人間世界に不可欠な調和への道に成り、良質な根本概念の創造は人類の資産とされ世界遺産という名称が付される。そして自然な感受性へと浸透する。こうした論理を強調する事は多くの人の潜在的顕在的な欲望に思われます。

根源概念の健全性

犯罪を見て、それに立ち向かわない性質は、大きな利益を望む要件に無く、適当な欲望と責任の範囲が自ずと浮かび上がる。自己の性質は自己が最も良く解り、マクロ観点上から見て望まれるであろう力の質量と、自身の立ち居振る舞いとの客観認識を持ち、過不足の認識が生まれる。

積極的創造策への初動的な視点が、この自己の性質とマクロの観点との比較で在り、これを外して物的欲性から、力自体への志向性をもつ事は長期的には×がつき持続的な成長の足枷となる。他者からの指摘を受ける以前に、こうした普遍的な原理による自己自体の振る舞いを作られる感性に、健全な心身の所在が確認される。欲望過多で他利への志向が弱いものであれば、それに相応しい領域や立ち位置が生まれ、過不足への認識を取らずに居座るかの判断は、歴史的、文化史的に汚点であり、根源的な原理に照らした二次三次の原理の創造と適用という事が少なからずに意識に備わり共生感情を備えた主体性が生まれる。

原理探求型の社会とは、誰が考えても納得性に及ぶ筋道を重んじる価値の形成に在り、物的要素を排して純粋に現れる確信性の高い論理を描き、それを追求する姿勢や行為に比重を持つ事であり、この感覚を強く持ち実現への強いエネルギーを投じる所に理想と実現と方法の構図が浮かび上がり人間の価値が上昇する。

この中に、永年の時をかけ創り上げられた絶対的行為類型が作られ、これを超えて人さまの為等という感覚に至る事は歪んだ美性を表し特異な道筋から生まれる歪みと映し出される。この行き過ぎた行為に偽善という言葉が当てられ、感受性の可笑しな状態と知覚され、不快性の高い事象に現れる。主客の分断性が顕著であり、日本という空間における永年の美性と乖離した不調和感が作られる。理由の付かない本能的な反応であって、個々の事象の積み重ねから見る規則性の高い不動の原理という認識に及びます。これが下に成り、それへの名称に平等思想等という言葉が付く。極めて人間の真理に近い実際性を表す美的感覚が永年の空間秩序と形成されてきたかに見受けられます。

物的欲望への過剰性から、それに資する人口的な制度が作られ、この調和性への価値が希薄化され、私的欲望過多の体質へと進行した。価値観が崩れ物理性へ押し流される姿と映り真理と逸れた感覚が生まれます。制度の力がやけに大きく、その用い方が極めて限定的な利益を志向され、大きな価値を阻害するかの事象に映る事も少なくなく、この傾向や趨勢にはどこか異様な感性の所在の実感に及び、本筋の軌道を壊した原理探求型の社会とは異質の世界に映ります。

この感性が、至る所の制度に反映され、或いは物的原理に従う皮膚感覚の増進となり、調和性への根源的な概念に立ち返り本筋への軌道へと修復するといった論理が現れる。

成長過程からの特異性と、物的原理への荷重や、観念に偏した体質形成が、マクロのシステムへと及んで、本来的価値概念と外れる規則性へと連なり、主体性のない、自律性の壊れた人間を多産される。力や調和の概念の取り違いに対する是正をせずに、ただ物的快楽への野放図な創造の末に及んだ実態という表現にも、因果の実感が作られる事かもしれません。犯罪への無頓着な感性がそれの証にも思われます。

真理という感覚と離れた全体観の進行と纏められ、調和や力の概念の相違が、これらの事象認識の異同を作り、取り返しのつかない衝突を招いている。根源概念への思索を深め、当該空間に元々あった良質な感受性を内部から創り上げ、外部へと提起する筋道が、原理探求型の社会に相応しい道筋にも思えます。外部の力を借りて内部を換えるといった手法には、安直性や物的利便性に慣れた物理原理に荷重を持つ短絡性の人間にも映り、局所と中局と大局の同時並列的な進行がイメージされて方法の適正となり、力への依存ではなく力の適正利用という実感が生まれる。

大志を抱く事と実際のミクロ感覚の整合が弱いものであると、犯罪への不快感が強く生まれず誤魔化しの論理へと逃げられる。体質形成過程の相違が感度や論理の違いに及び、力の依存と力の利用との相違に至り、中身の取り方も違いが生まれる。

 

平和の軌道

犯罪者の体質は今日明日という短い時間で改善できるものでなく、社会システム上の全体観から見る基軸動態には、この性格を配する事のない健康な心身を絶対性の高い要件と備える事が必須となり、比較的容易にこの性格の識別は取られる事でしょう。長くしみついた性格であり、冷静に距離を持って規則性の分析を取れば、主体性の形成度が確認され犯罪への制御可能性が計りだされる。

本書で掲げました身体と頭脳の良好な循環から適当な感受性を持つ健康像が示され、生産行為の適正な標準像を描き出しております。そこでは市場へ向けた付加価値の規定と実施の検証を適度に内蔵する仕組みが備わり、緊張の持続に及び詐欺や盗みの抑制される体質が生まれる。逆にいえば、この構造にない規則性から緩みが拡大し、物理性と理性との乖離による精神的な狂いが生まれ、他者のものを自己のもののように扱う感度が強まり、異質性の高い発想や行為を進行される。

権力や財力等の力に対して自己での適当な制御が効かず、この意味の他律的な性格が、犯罪や不快行為を招かれる主要因となり、感覚の慢性的な規則性へと固まり主体性のない人間が出現する。こうした因果分析の抽象図から、個々の局所的事象を動態的に適用して、性質の見極めを執り行い、人格と技術の比較の上に、エネルギーを投じる事が良質な空間の形成における要の指針と描き出されます。

自己制御の出来ない主体に、大きな対象の管理責任等は到底不可能であり、ミクロの感覚事象からこの面が浮かび、犬猫的な性質の強い自己制御性の働かない人間が特定されて、力と責任の過不足が鮮明になり、人的要素とシステムとの適正を作る施策が展開される。これが構造改革の道筋になり、人的要素と技術力という観点から個々人の性質が算定され、相応しい配置が創り上げられる。根元と背骨のしっかりした空間秩序への志向を持つのであれば、こうした論理に共感が高まり、問題と好感というプラスマイナスの性質が特定されて、何を優先事項にすべきかの序列の共通性が次第に纏まる。消極的な制約要素を満たさない積極策は長期の観点からは愚策と成り、人間の中軸的な価値の堅持された前進策を土台にして、持続的な発展軌道を創り上げる事を不動的な感受性と浸透させ良質な文化基盤の下落を防ぐ事に連なる。

歌舞伎や相撲といった特定の生産領域に限定した文化という概念と、こうした包含的な焦点で映し出される文化との相違を持ち、長期的に健康な人間作りの要点を押さえた創造策が提起され目指すべき方角に備わり、現況を把握して正負の識別に及んで、正しい選択や変化への軌道が生まれる。システムを作る事や動かすのは、人であり、人の良質な感受性があらゆる創造の動源に成り、このエネルギーの質量が計られて適当な配置を作る事が全体最適性の指針と現れます。

生産面からの創造ばかりではなく、日々の購買の中で、製品サービスの良質性に加え、それを作り出す人々の良質性が加味されて、中長期の健全な需給構造や社会秩序に及び、文化水準の維持と上昇が創り出される。犯罪に及んだ人間は一定の更生機関を課し体質の改善に及んでから、積極的な創造策を意図される事が適当であり、悪性の基盤を抱えて人への利益を提供できる性質や立場にあらず、この客観認識をもった表現活動に主客の健全な調和性が生まれ、平和という道への軌道が作り込まれる。これを粛々と回せる事が社会の自然律になり、自浄作用を内包した長期の不変的な構造が持続する。

文化論の総枠的な観点

積極的創造策には、個々人の嗜好や志向から様々な相違が生まれ、必ずしもピタリと一致しないのが実際になる。この一方で消極的な不快行為への制約は、限定性が生まれ、こちらは少なからず守る事が望まれる。この対話や関係における秩序の付け方に不動性が現れます。協働生産においては、技術と市場が想定され、持続的な成長軌道を求めた発想を定常的に持ち、速度感や強弱感、順序の取り方、手法への適切性等々といった細かな方法の差が生まれる。事実認識の相違や理想となるビジョンの細かなズレ、実現への執着心といった事が、方法面の違いを生み、それをなるべく広がらずに、同一性へと近づけるのに、時を重ねて、直接の協働生産に関連しない面までも伺い知る中で、人々の性格の奥底までの理解に到達する。これが直接上の生産での方法の差を調整する上での材料に成って、快適性の高まる方法の進行等へと発展する。

率直な意見のぶつかりを常とする感覚や、時を長めにとった意思の同一性を作る感度の持ち方等という反応の形成に、現況への危機意識等の事実認識の相違が、進行の速度感や適正方法の差と生じる。このような面からの不快感は、前進性の方向にあるもので、歩んできた個々人の個別性からの相違として一定の許容性が作られる。積極的な創造策上に在るズレであり、建設的な発想上での不協和感であり、人格そのものまでに対して嫌悪感を抱くような所にまでは及ばない。

こうした一方で、消極的な制約への抵触といった事柄は決定的な信用破綻を起こし、微調整や修復の困難な絶対性の感度が創り出されるのが多くの人の感受性にも思われます。

これを容易に考える感度が、今日的な問題の焦点の一つに備わり、それが生まれる原因分析や対処や予防の適切な実施という面が、人間形成における下限のインフラ基盤の崩れを留める重要な施策という認識に及ぶ。ここでの方法への感度差という事も生まれ快適や不快の相違が生じる事でしょう。

 

こうした感覚の崩れの原因に大きな点からは、ライフスタイルの変化があり、中期観点では、ライフスタイルへの細分化した構造的な焦点へと絞り込まれ、更に短期上では、個々人が属する生産的な環境特性による常識感覚の相違が生まれる。

ライフスタイルという長期性の観点に、自然や人間という大きな観念からの規則性の変化の分析が取られ、抽象的な根源性に近い所での事象が描き出される。この感受性が根に成って中期構造への志向性が生まれ、個々人の生産感覚という短期視点に及ぶという因果の実感が一つ現れます。

そして、幼少期からの教育、社会制度上の教育の在り方へと根本的な視点が注がれて、人間形成過程の初期的段階における適正化への思索が進行する。或いは、中期構造上の力と責任の過不足への適正化策へと向かい、社会システム上の各種領域の要件定義やシステムの大きさ、稼働上の適正へと改善の方法が考案される。短期性のより限定した領域での感度の変容へも連なり、短期から中長期の全般に渡る変化の流れが促進される。

積極的な創造策が本来的な前進性の軌道にあり、消極性の事柄はどちらかというと面倒な関わりを持ちたくない事に在り、しかし、肥満体質や精神面の脆弱化から、その影響が直接間接に生まれる状態にあっては、この面への着手も必要になり、後ろ向き体質の抜本的な改革という面が作られ、更に、欲望の適正化という積極的な創造策自体への変容も含んだ大きな視野へと発展し、これらの基準に心身の健康像という人間観が示されて、それとのズレの把握から修正という方法の軌道が作られる。

こうした創造活動の全体観が形成され文化論という領域がこれへの方法と備わり、事象の鮮明性を創り上げるとともに、改革点の絞り込みへと連なる事でしょう。