社会文化ビジョン
「私事で恐縮ですが」といった言葉を添えられる事がしばしば見られる。自分で自分を取り上げる事への戸惑いや躊躇の感覚を抱く心境を表す姿に成り、この前段には他利の先行によって自利を得る循環に正しいとする感性が内蔵される。つまり、外界に対して自分を表現するとは他者への利益を齎す事により存在が認識され技術を磨いて提供し社会的な共生の姿が示され「私」が表される。言葉で私自体を表す容易な手法に対する感受性の薄さと伝わり、利益を提供する態度の弱さに良い心象が生まれず内向きの自己陶酔的な生産志向に違和感が生じる。私が強調されるのは正しい方法による利益の提供によって外界からの認識が作られ、適当という感覚が備わる。情報発信の容易性はこの感性の弱まりの傾向が促進される面と、逆に良い技術を持ち表現の機会が広がるというプラス・マイナスが生まれる。管理発想やその志向性が強まり個別独特の技術へのエネルギーが注がれず、利益の搾取と言う発想からは健全な心身が感じられず健康な対人形成を妨げ、個々人が直接技術を表しそれを望む人との直取引の進行に良質な循環軌道が促進される。バイイングパワーといった原始的物理性の原理に支配されては個々人の正的エネルギーにある感受性を弱め、心豊かな多様性や寛容性から画一性や許容性の減少への流れが強まる。情報流通環境の促進にも正負の見方が形成され、人間性の向上という意味からは総じて健康な精神の好作用と感じます。物理性による力の進行から、技術力先行型の価値形成という不動の原理が固められ気流の上昇を弱めない条件が進む。このインフラを提供するのが政治行政という性格に求められる根源的な作用と思われます。管理型の力が先行する所には技術が生まれず貧しい発想による秩序で支配的になる。このような自然の周期に在る事が感受性の堅持された創造世界という実感に及び、物性へ染まって単純な原資世界へと及ばぬ軌道を強化する歩みが望まれる。政治行政へ思想を提供するのが教育や文化の感性であり純粋性の理想を指針と提起し産業経済の実践の場で諸々の現実的感覚と向き合いながらその志向性への動態環境を制度や法規で補強する全体的な筋道が浮かびます。このような論理に3者間の主要な役割が備わり全体観を作られるのが適当に思います。領域間と領域内での本質的役割と理想と現況と方法という観念を備えた実現への活動という縦横構造で質実を着実に経る取り組みの密度が上昇する。
現況の姿はこのような全体のイメージに映らず、領域の最適性に重心が取られ、横の有機的な連鎖性や一巡感覚を高める作用によって同一方向の揃った尊重と協働のエネルギーが投下される。どこか管理先行の不健全な感性が蔓延し本来的な役割と外れた振る舞いと感じる事も少なくなく、大きな納得性の高まる全体観が提起されて大きな利益の協働生産性へと連なる事に思われます。根本と基幹動態という背骨感覚への不動的な意識が備わり確かな成長が生み出される。政治行政という領域が権力へ偏して感覚的な事象と離れては感受性に歪みが生まれ権力の本来的意図と異なる力が働き良質な芽を摘む逆作用が齎され世界を衰退へと導かれる。三者に求められる本質的な働きを導出する普遍性を備えた大局ビジョンが固まるほどに、健康な感受性を根にする活動が創り上げられる。本分を忘れた自我の進行に陥らない世界観の提示が理想の方角と定着し現況を抑えて方法を生み続ける歩みに至って価値観の維持や実現への力が持続する。不快事象の生まれる因果は力の用い方の歪みという感受性の貧困化と言え、ここにミクロ感覚を壊した負のスパイラルを生みだす根源原因が映ります。良質な感受性を根にして主客の適正調和の実感に及び全体ビジョンを備えた創造原理が働き目先の利害を超える力が増進されて確かな未来へと前進する。本書の文化社会ビジョンで言う政治経済文化は個々人の頭脳と感覚と感受性や、集団における管理と固有技術と理念やマクロ社会システム上の政治と経済と教育文化等に対照され多角的な観点を持ち健康像へ向けた歩みを作り出す包括的な方法論が示されます。