三分法というのが、適当なテンポ感覚を生み、人々の快適を生みだすように思われます。いっ・せい-の・せ、ワン・ツー・スリー、チャーシューメン、ホウレンソウ、或いは、朝昼晩、陸海空、等々。二項対置概念からの適正調和性への志向とも言い換えられ、正負や生滅、明暗、動静等での分化から統合への融和性に快適を抱く欲望と感じます。
これは理屈というよりも、感覚と頭脳と感受性をもつ人々の基本構造を根にして生まれる身体感覚や頭脳表現の作りや用い方によって染みついた静態構造と動態の快適を表し、一つの区切りや周期となって対象の纏まりを掴み3つの要素を回すという循環構造が感覚と観念の実感に及んでいる。
このような根源原理を下にして、時代感覚を捉え、どのようなトレンドを創り上げるかというアプローチが生まれる。古代と中世と近代という区分に於いても其々に特徴が現れ、うまい集約を見せられた歴史家の感性が伺える。
古代:(適正)という所がバランスの取れた基礎基盤感覚を生みだし、中性:(統合)で人間の情緒的アナログ面が進行し、近代:(分化)でデジタル的な物性面へと及び、そして、古代的な基盤形成という質を整える検証と再生の時期を迎える。現代の掴み方は、この基盤の上昇的な構築過渡期となり、古代的な感性を持って次元の上昇を作り出す転機と見る事にも、適当感覚を抱かれる人々も少なくないような想像に及びます。古代的という時期では、300年単位に及ぶ質の転換を作り出す時期に成り、思想・宗教的な包含的原理体系が生まれ、その原理と応用の300年や1000年単位のトレンドが作られる。
仏教や神道という世界観も、根幹教義は変動する事無く、それを鮮明化される事や、枝葉の付け方を変える等という基礎と応用を繰り返しながら、時々の感性が加減される。根幹には喜怒哀楽という人間の感受性が備わり、その中でも特に重要と思える部分を不動性として、堅持する事への創造が取られる事によって、感覚と頭脳の作用に規律が与えられる。どう感じるかが、出発点に成り、生命観を起点として、感受性の制御を作るのが、あらゆる創造の土台に及ぶ。生活様式の変化からこの感覚が変容する事に対して、一定の正常な範囲を抱き基準と許容値を下にして、科学技術との良好な関係を作りだし、人や自然への感受性を大きく壊さない工夫を持つ事が動源に置かれる。
この基本式と方法論として、様々な思想や主義等という観念体系が描かれて、生命観に対する制御を志向されるのが、根源的な視点からの人々の欲望と映し出されます。自然な感受性から制度や法規という形による強制性を持たせ、自然形成的な個別の生産に一定の制約を課し、生命観への大きな変化を制御する働きが生まれる。感覚と頭脳を実際の感受性の中で検証し、人々の感性の適正を維持する操作が現れる。これをマクロの観点で捉えるのが、経済と政治と文化という社会システムというフレームで在り、ミクロとマクロの整合が意図されます。
このような観念を土台的に含んだ上で、各人の責任感覚と内蔵されて、根源の視野を取り込んだ各種の生産を持つ事が、根源理性ともいう共通の感受性となり、優先順位の発想を創り上げられる所に、一定の健全な心身の所在が確認される。こうした軌道を持続させる事が文化ビジョンとして現れ、各種立場の創造に対して長期性への牽引性を持ち、良質な活動の導出へと展開させる事がこの領域における目的や意義と備えられる。
各種の思想や宗教、保守や革新、右や左という型枠も目指す所は、このような生命観を土台にした感受性の維持と思われます。その感度や方法論に若干の相違が現れ、それを丁寧に相互尊重の構えを持ち適正調和に連ねる事で、過度な対立を緩和して適度な関係を作る事という、全体統制の理念として表されます。この人間の作り方が、日本文化原論における根幹教義となり、物的感覚と頭脳の作業とに適当な調和性を齎せ、感受性という要素を人間の芯に添えた有機体の形成に不動的な快適感が創り上げられます。