事実と価値という概念を区分ける事が人間の傲慢性を抑止し、感覚的な実感をありのまま認める事と、社会関係上の欲望とを切り分ける感性が、自然や人との真摯な対峙を表し、共生感情を根にした信義誠実な態度と言い換えられる。自他への客観認識を作る事の出来る感性の所在が確認され、この基本的なスタンスから健康な調和を作る躍動的な活動が生み出される。
人よりも優位に立ちたい、支配的な立場を守りたい、といった物的欲望への志向性が過ぎると、ありのままという作為性を持たずに知覚される事実への歪みが作られ、過剰に力んだ姿が明瞭に映し出される。
活用しているのに知らないふりを取り、自他を誤魔化し優位性を保ちたいという発想は、明らかに、自然や人との調和性を求める発想にはなく、事実を歪めた利己的欲望過多の性格を示し、それが社会システム上の大きな役割を期待される配置に居座っては良質な有機体の形成を阻害される。力と欲望の不均衡となり、権限の過剰な保有と責任感覚の弱さという客観認識が生まれ、これへの適正化を進める事が必然の流れとなる。
事実と価値という概念形成は、対象との良好な関係を創り上げる為に先人が創り上げられた知恵とも言え、多くの概念には何がしかの意図やきっかけがあり、それを掴んで用いるか、改良する際の動機が示されて、静態的な観念に動態性が宿り、活きた創造事物に及び、動の中の動に近づき、対象と溶け込んだ質の良い調和の実感が生まれる。
事実と価値を分断させ、統合への軌道を持ち、動の中の動へと近づいて、動静の一致という感覚に及ぶ。この過程で、価値も少しずつ変容し事実との循環で、事実と価値がピタリと合い実感が生まれる。
ビジョン形成と現状の認識を区分する事が自然や人との適正調和を創り上げる為の構えとされ、この構図に忠実な活動によって方法が生み出され、そこに付加価値が生まれる。事実と価値と方法の概念を持ち、循環させる活動に付加価値を生み続ける健康な感受性を備えた創造者の姿が現れる。