1)美の創造と測定

1)美の創造と測定

正負のバランス均衡に働くのが人々の自然律であり、マイナスとプラスの感度の取り方に個人差があり、そこに美感が示される。小さなゴミに過敏な反応を見せられるかといった直感的な事からより深みある物事の洞察で感じ取る美感により相互の割合と深さの調整を果たしプラマイゼロの状態に持って行こうとされる。なるべくプラス側を人様に見せてマイナスを伏せる反応が生まれる。そのギャップの激しさについて美感を問うのが文化感覚を備えられる美性となりこれを持って深みの程度が計られ奥行き感を備えた物事の認識が生まれる。この感覚がどうも弱ってきたかに見受けられます。言い換えると、こうした美性が付加価値の根に成り、物的感覚とは領域を異にする人々の振る舞いにおける快適感を表し、それに好感が生まれ情緒的な充実に御礼を回す事への感覚に至って美の実践者という調和性の深さと異同の検証が取られる。御礼の在り方が美感そのものでありこの行為の所在に客観性の高い美の測定が生まれる。

こうした行為を見る第三者が更に美を感じ取り、好感の連鎖として直接間接に御礼が回り、美しさの途絶えない空間秩序が強まると同時に醜さへの嗅覚が増し、美醜感覚は相関性で捉えられる。表面の美と実践されない姿のギャップで落胆的な醜さを起こし、それを見る第三者が醜さへの不快を抱くか、それとも自身の醜さへの肯定材料と用いるか、この反応が美醜を分ける境に成り、プラス・マイナスの軌道と強弱を齎せる。知名度や財力、生産力等から社会的に影響力を持つ主体に於いて、これらの美醜感覚の表し方が一つの基準に伝播する事からも、表に出してよいのは実質上の奥行きを備える美性の持ち主であり、裏の顔が余りに酷いような者を出して人々の模範と回すような事は避けねばならない。この重要な役割を担うのが、報道機関等のメディアであり、そこの美感が如何ほどかが問われる。こうした二重三重の美を計りだす視点を持ち、美の促進者か阻害者かを計る尺度の質が、情緒性の欲望を測定する付加価値と位置づけられる。物的作用への付加価値と共に、この性格の付加価値に対する感度の程が心身の豊かさと現れる。良い絵を見せてくれた事への御礼は一過性の欲望に留まらず、長い記憶に留まり耐久性の効用に及ぶ。これに付加価値を抱かない感性には人間の根源性に疑問符が浮かぶと言ってもよろしいかと思われます。感受性を萎ませる事のない良き御礼の連鎖を見せて良い絵の乗数的な拡大が生み出される。経済の根源原理に通じる事にも思われます。文化論の性格は方法の導出という行為性を含んで実感される美感の形成や実現と示されます。

健康な創造者

 

事実と価値という概念を区分ける事が人間の傲慢性を抑止し、感覚的な実感をありのまま認める事と、社会関係上の欲望とを切り分ける感性が、自然や人との真摯な対峙を表し、共生感情を根にした信義誠実な態度と言い換えられる。自他への客観認識を作る事の出来る感性の所在が確認され、この基本的なスタンスから健康な調和を作る躍動的な活動が生み出される。

人よりも優位に立ちたい、支配的な立場を守りたい、といった物的欲望への志向性が過ぎると、ありのままという作為性を持たずに知覚される事実への歪みが作られ、過剰に力んだ姿が明瞭に映し出される。

活用しているのに知らないふりを取り、自他を誤魔化し優位性を保ちたいという発想は、明らかに、自然や人との調和性を求める発想にはなく、事実を歪めた利己的欲望過多の性格を示し、それが社会システム上の大きな役割を期待される配置に居座っては良質な有機体の形成を阻害される。力と欲望の不均衡となり、権限の過剰な保有と責任感覚の弱さという客観認識が生まれ、これへの適正化を進める事が必然の流れとなる。

事実と価値という概念形成は、対象との良好な関係を創り上げる為に先人が創り上げられた知恵とも言え、多くの概念には何がしかの意図やきっかけがあり、それを掴んで用いるか、改良する際の動機が示されて、静態的な観念に動態性が宿り、活きた創造事物に及び、動の中の動に近づき、対象と溶け込んだ質の良い調和の実感が生まれる。

事実と価値を分断させ、統合への軌道を持ち、動の中の動へと近づいて、動静の一致という感覚に及ぶ。この過程で、価値も少しずつ変容し事実との循環で、事実と価値がピタリと合い実感が生まれる。

ビジョン形成と現状の認識を区分する事が自然や人との適正調和を創り上げる為の構えとされ、この構図に忠実な活動によって方法が生み出され、そこに付加価値が生まれる。事実と価値と方法の概念を持ち、循環させる活動に付加価値を生み続ける健康な感受性を備えた創造者の姿が現れる。