哲学の指導者には、解釈の専門家と体系の形成者という2つの類型に大別され、各人が自主的に専門哲学者の体系に興味を持ち、その理解に有用な作用を齎せる専門家と、自身の感覚性の体験を根にして創り上げた体系を説明する専門家という区分が生まれる。
専門研究者という性格の哲学概念を頭脳的に深める事も、まったく無意味とは思いませんが、感覚工程を経ながら自身の体系を創り上げる事に実際的効用が生まれ、筋の良い根源観念を如何に少なく集約し、短い時間で読み込めて、感覚的に深い実感図面がイメージされるかに、この分野の優劣基準を備えて領域の方向性を定める事が、実社会への意義を齎せると感じられます。
このコンセプトに沿った哲学が『日本文化原論』であり、特定の哲学者の難解な表現の解釈に時間を充てるような事よりも、洗練された骨格概念と集約した体系を大づかみに捉え、生涯をかけて自らの体系を創り上げるスタンスを想定した哲学基礎教育として、講座を設ける事が、感覚体験と頭脳の程よい循環性に及び健康な感受性が創り出されると想定されます。
真理を意図して読解に時間を費やす事は、真理と離れた作用を齎し、幸福感や健康を意図して哲学を身につけるのであれば、最低下限の良質な根源的な筋道を入力し、体験型の原理創造に比重を取った活動性を持つ事で健全な心身が生み出される。
哲学という根源観念は、こうした想定の中で、体験と共に次第に深まりや完成度の上昇に及ばせる個々人の個別的納得感の形成に、良好な作用を齎せる為の必要最小限の観念として提供するのが、需要者にとっての真価に思えます。未来創造型の人間観に軸足を取った哲学観や教育観という方針で描かれます。