社会の根源基盤の健全性

 

反省という行為は、被害の状態によっては、損害を賠償して場合によっては刑事罰に課せられて、その姿が実感される。これがないと子供扱いか、犯罪者として実質的な認識が生まれ、それに相応しい取り扱いが生まれる。

現代社会状況は、この反省という言葉と行為の実感に踏み込んだ強要にまで及ばないと自身で行為に現れない程の人格破綻と見られる人間が少なくないようです。この物理依存症や他律受動性の体質が進行する事では、社会は成り立たず、事実上の姿に基づいて関係を作る自浄作用の進まない事が大きな欠陥になり、インフラ自体の機能不全が深刻な状態に見受けられる。

ごく一部の層に相当する事と思われますが、物理性の影響力を持ち、それに依存して責任意識が壊れ、そればかりか下限の法規制の感覚も可笑しいのでは、直ちに強制対処するのが適当に成り、この遅れが致命的な人間崩壊の道へと深められる。法がまるで実効力を持たず、物性の原理ばかりが浸透し、自律的な制御反応が取られない事に在っては、強要的に隔離するのが適当であり、その判断力が乏しいような感覚が生まれます。

管理監督責任者へ求められる水準に至らず、けじめのつけられない子供が形上の力を持ち、行使されずに箍の外れた感性が修復されない。このような過不足が問題であり永年の時をかけ作られた価値が瓦解する。

反省の取り方の妥当性を計り、その判断力に根源の感受性が検証される。何かの貸し借りから配慮を加える事柄と、粛々と執行すべき事柄とを間違えない切り分けが生まれる。

このメリハリ感覚がない人間には、力を与えない事が必然となり、この判断を間違わない感性が自他の調和に欠かせない制御装置となる。

犯罪は、それ以上でも以下でもなく、齎せた被害に対する真摯な弁償を行って、誠意ある人格の実感が生まれ、これを取れないうちはいつまでたっても体質は改まる事無く、同じ繰り返しを生みだされる。実質的な行為として検証されないものでは、お飾りの観念体系が宙に浮き、正しく頭と感覚の分断した感受性の崩壊という実感が進む。

万人共通の理性基盤を堅持する事なしには、病的な一部の感性が留まり、健全な軌道を阻害する。これから逃げる事のないシステムの基軸強化が求められ、これが脆弱な事から、犯罪者がぬけぬけと放置され、まともな正論を吐くような醜態が現れる。これらの認識が弱い主体性には、間違っても基幹に備える事無く、相応しい人格と影響力に合った配置が執り行われ、個別性の適正な対応に及び、全体調和性が叶えられる。

欲望過多で、責任不足に陥る事のない感度の実態が健康な心身を表し、他律ではなく自律した振る舞いにあって、主体性が確認される。他者からの指摘を強めないと自ら動けない受動性の進行という事象が、文化の中心焦点となり、水準が常時計られ、許容値と基準の制御という活動に及び、背骨の曲がらない体質が創り上げられる。

この観点を欠いた創造はあり得ず、絶対性の原理と固め、出来そこないを作らない人間社会への施策が一丁目一番地の焦点になる。積極的創造策に対する負の事態を抱えない適時適正な反応が良質な気流を弱めない必然反応となるのでしょう。