原動力は、人々の笑顔を見たい。という部分も少なからず持ち合わせ、偉くなりたい、金が欲しい。という要素を持つのが自然であり、どっちか一方の感覚には、違和感が生まれる。これが美醜的要素を併せ持つという人間の認識に則った表層に浮かぶ感覚であり、ここに長期性の健康像が現れます。実態的な均衡や中庸という標準感覚であり、自他との適正調和の状態と描かれる。
提供した利益に対する適正負担がないと、良くしてあげたいという気持ちに対するお返しに不足感が浮かび、気持ちを減らして適当なエネルギーに修正される。これが収益とコストに対する利益率の概念で表され、この一定の目安が経営の適性を計る基準に成り、持続性が果たされる。
収益から原材料費、労務費、販売管理費、金融コストを差し引いて、組織活動としての付加価値が残り、法人の生産性が表される。投資に対するリターンの適正な水準が、外部環境の調達コスト等から算定され、一定の落ち着いた利益率がはじき出され、市場との過不足のない均衡感覚が生まれる。
これがマクロ的に見る気持ちとお返しの適正感を作り、過剰も不足もない適当という感度に及んで持続性を持つ状態と表される。法人としての活動の適正感覚と、個人としての適正感覚の比例的な反映が生まれる。
つまり、善意型の感情と付加価値の創造と適正なリターンによって、健康な感受性の持続が叶い、心身の健康が持続し、そして、もっと欲しい、名誉も欲しい、という気持ちが生まれて自然であり、良好な価値の提供を根拠にして、これらが叶えられる。
この成長願望を思うままに発揮して、標準感覚に対する守りと攻めの範囲の想定感覚が備わり、挑戦を成すのが躍動感の根に成り、ここに感受性が現れる。標準感覚は感受性の現れない通常感覚を指し、過不足の時に喜怒哀楽感が生まれ、それが動きを作る起点に成る。
マイナスをプラスへと変え、過剰なプラスからは抑制へと働き、感受性の制御が生まれる。このような動態に在るのが人間の生きた姿であり、正負や明暗、緊張や緩和という二つの要素を行ったり来たりする所に生身の姿が実感される。
これがある意味において、長期の普遍性であり、美醜を併せ持ち、そして美への志向を軌道にした活動であり、この過程で適正感覚という標準とプラス・マイナスの感度が作られる。下限の制約という万人的な価値を守り、積極的な価値の創造を行う健全な人間の動態が映し出される。前者には変容性が少なく限定性が生まれ、後者には、ダイナミックな活動性が生まれ、前進性のエネルギーをありのまま表し、欲望を叶えたいとされる事が健康な感性にある。下限的な制約はミクロ感覚の適正を表し、これを堅持した積極的な創造の感覚を持たれる姿に、一定の制御性を持つ理性が残り、物的性質に染まらない良質な感受性の維持された状態と映し出される。
表面を着飾り下限を超える性質は壊れた人間であり、この状態は看過せず取り除き、制約を持って積極的な欲望をそのまま表す姿には健康な人間の模範と示される。これを見間違えない事が適正な見識を備える感性であり、所与的な面がクリア-されていれば積極的な表現には縛りを課さず自己の生産に集中されるのが適当な姿と実感される。迷惑な人は人のやる事に邪魔をする。自分の生産に集中して磨きあげるのが正道であり、エネルギーの向き方や投じ方の歪みが問題視され正常な感覚を外す事のない普遍原理の強化が良質な軌道を弱めない成長概念として強調される。マスコミという業種の特性は、これに陥る構造的な性格を持ち、一般の生産者との異質性が生まれやすいように見受けられます。勘違いを生まないような仕掛けを外圧的に組み込むか、それを悪用する事象者や行政へも場合によって縛りを設ける事が要るのかもしれません。