科学と宗教の線引きはどこにあるのか。これへの答えを持たずに、これらの言葉を容易に用いられる所が、宗教的であり、根源思索の弱さを感じます。文系の要件定義の弱さは、曖昧な思い込みで論理を進め、理系の厳密性は実感の多様性を弱められる。このような相互の特性を抑えて個別的想定において、最良の表現を作るのが良き創造に連なる。
論理の土台には哲学的思索が備わり、対置概念を作る前提の論理基盤が置かれる。この面への探究の程度が、土台感や骨格感、納得性の程度と現れ、実感性の深さに及び、調和性の程度を齎せる。何を持って空想か、科学的か、この厳密な規定の困難性の認識が備わり、用語や論理の組み立ての丁寧な作業と現れる。
ちょっとしたズレからコミュニケーションの不協和が生まれ、亀裂が深まり修復の困難な状況を招く事を予防するのには、哲学的な思索の訓練が有効であり、「知るや作る対話する調和する」等々の基本動作を表す根源観念について、一定の教育や訓練が必要であり、この程度や有無が、人や自然へ対峙する基礎的構えを創り上げ、良好な関係作りの根元やエネルギーとなり、感受性の起こり方を生む。二次情報への過信という現象も、哲学的訓練を経る事によって、情報の信憑性や、裏付けの取り方に反映され、ゼロベースからの強い確信性を持った知の習得や形成に及び行為に連なる。
読書の量を学習能力の尺度にする事自体がお粗末であり、情報を容れる基盤面という質の善し悪しへ視点が行かずに、粗雑な書きものや、興味の弱いものをただ量的に読んだ所で、実りの高い成果を生むには至らない。感覚と頭脳との程良い循環により健全な感受性が形成される。歪んだ精神性は、頭脳ばかりへ偏した体質から生まれ、良質な知の保有が弱く、或いは用い方の歪んだ行為を生みだし、ここが、犯罪をつくる初動的な原因に思われます。健康な精神状態の上に各種の行為が執り行われて、良質な活動に及ぶという観念を備えて、頭脳と体と感情の有機体を作り込む視点が肝要に思われます。