物的要素で距離を設け優位な立ち位置を確保するという発想には、文化活動の資質は乏しく生計の設け方に歪んだ手法が濃厚に含み、自己生産性を磨き自尊心を持ち、堂々とした社会対話を築こうという姿勢にない。
原理を追求し、それへの純粋な評価を公平公正に取ろうというスタンスにない立ち居振る舞いには、利己的な欲望へのエネルギーが強く、歪んだ手法による管理型の体質を顕著に見せられる。旧来的な政治的行為という物理原理で支配的な論理を描かれる。
この規則性を常態的にもつ環境に身を置くと、その感性が自身の原理に備わり、技術追求型の発想を弱められる。外に向けた技術の提案という軌道を主軸に取り、内向きの管理発想を先行させない所に、健全な心身が確認され、原理探求型の長期的な人格を根に持つ主体性という認識に及ぶ。
間に何かを容れたがり、優位な立場を主導しようという発想は、現代人としては旧型であり、自己の歩みに自信のない姿を表し、小手先性の発想を常態する体質と浮かび、腹の底を顕著に示す姿と知覚される。良質な対人関係を志向しない対象との分断性を好まれる志向性に在り、原理創造型の客観的な自他の評価を志向しない所からは、良い気流が増進せず、支配願望ばかりが進む歪んだ空間秩序を増進させる。
旧型の政治家やマスコミという領域の原理であって、無能な管理職にも度々現れる姿であり、自己生産への真摯なエネルギーを投じられて、地に足のつく自尊心が生まれ、その確かな歩みから、根源的な層からの原理への適正な計りを持つ、公明正大な態度が生まれる。
単純物性寄りの原理に陥らない理性の所在が確認され、ここに良質な前進性の建設的な秩序が増産される。外堀を埋める等という事がしばしば言われる。発想としては二次三次的な相手方の性質によってはやむ負えない手法であり、本筋とは外れた対象との向き合い方であり、この政治的手法ともいう形からは信頼形成に及ばず、調和性を求めない単純な利己的性質を常態される道の歩み方であり、フラットな感性を堅持される文化基盤のない経済人といった性質に映りだされる。
政治も経済もこの発想が濃厚に占めれば、物性の狭い世界での流れが支配的に成り、見せかけの虚像や安易な盗みによる手法での生産へと走り、原理自体を磨きあげ真理を高める軌道を弱められる。堂々とした文化と外れた三流発想からの脱皮が、健全な心身を表すものと思います。規格量産模倣型の発想から、根源性と全体観のオリジナルな構築力を創り上げ、独自の尺度による計りを持ち、それに忠実な対象との関係を作り出せるかに、主体性の向上が実感される。
道の歩み方の相違から、同質的な感性を持つ人々のグループが出来、物性と理性の割合感覚として浮かび上がる。犯罪や管理偏重は自信のない逃げを常態する人間から生まれ、自分に自信を持つには、根源からの思索をもち、独自の体系を築く事が要り、本書はこれに有用な観点を提供できるものと思います。