文化という領域規定

批判を活発にされる事は結構なことである。同時に、発言者自体の制約を強める事に成り、批評と同時に理念を公に掲げる事を示す。相手方に求める事は必然的に自己を縛り、自他との調和を作る基準が鮮明化される。この辻褄が合って、言行の整合在る主体性が生まれ、人格の実証という認識が生まれる。

文化の観点は、快適な空間秩序を形成するのに、必然の不動的な原理を表し、長期的な社会基盤の良質性を意図した原理の創造を主たる領域に取り、万人平等の観点から、相応しい論理を形成し広く訴求して、規律の整う社会関係を生みだす上での有用な役割に成り得る事と思います。

各種立場から利害が衝突し、自己生産の正当性が訴求され、その背後には、理想となる人間像が備わり、特定の生産行為との整合性を所与とした利益の主張が投じられる。

言行の整合や影響と責任という観点を基軸にして、各種欲望が表明され、その正当性をどのような論理で固められ、要望を充足するかという行為が、多くの表現者の意図する事であり、人々との論理の異同が確認される場に、メディアという空間が位置づけられる。

その場の提供者についての性格の吟味という焦点が生まれ、各種主張を取り上げる上での基準を事前に公表されて、場を持つ事への影響と責任を果たして、一定の信用が生まれ、公明正大な立ち居振る舞いが求められる。影響力の程度によって、その厳密性や公開性の程度が変わり、期待と要望の持続的刷り合わせを持ち、需給が合って場の持続が果たされるというのが、平等思想を価値と備えた原理の応用と解される。

恐らく、このような理屈の筋道に万人的な不動性を持つ共通性が生まれ、こうした性格の論理に根本価値や普遍性という原理の認識が生まれ文化という人々の基盤的な価値が浮かび、その認識が強まるほどに、それを前提にした批評や行為が生まれる関係で表されます。

直接的な主張に対して、この基盤的な主張という点に注力して、論理を描き出す作用が、各種の欲望に規律や統性を与え、極端な感受性への抑制や建設的挑戦への許容性を示し、根源的な観点から純粋性を帯びた提案が執り行われる。

以上のように個別と共通に対する根本的な地層による活動の性格が示され、経済や政治という視点に、文化の観点を併せ持ち、局所的な事象に根本基盤の理論を充てて一定のクオリティーを持つ強固な主張が創り出され健全な表現をもつ品格を保った創造が展開される。

文化にも需給構造が備わり、期待と効用の関係で対価が生まれて、緊張の持続する創造が遂げられる。特権的に見下ろすような行為は認められず、需給の原理があらゆる生産の根本原理となり快適な活動が作られる。文化という主張もボランティアではなく、有用性を主張して持続的改善の性格に在り、そこには対価が生じて持続可能な活動に成り得る。このような論理の上に中立という概念が生まれ、概念の中身自体と、事前の尺度を鮮明に表し忠実な適用を執り行うという2つの意味が生まれて、良好な価値の実現に及ぶと思います。メディアや行政、個々の主張に対して、文化という立場からの活動が、現代の時代状況において、潜在的顕在的な人々の要望と映ります。

 

旧型発想の脱皮

物的要素で距離を設け優位な立ち位置を確保するという発想には、文化活動の資質は乏しく生計の設け方に歪んだ手法が濃厚に含み、自己生産性を磨き自尊心を持ち、堂々とした社会対話を築こうという姿勢にない。

原理を追求し、それへの純粋な評価を公平公正に取ろうというスタンスにない立ち居振る舞いには、利己的な欲望へのエネルギーが強く、歪んだ手法による管理型の体質を顕著に見せられる。旧来的な政治的行為という物理原理で支配的な論理を描かれる。

この規則性を常態的にもつ環境に身を置くと、その感性が自身の原理に備わり、技術追求型の発想を弱められる。外に向けた技術の提案という軌道を主軸に取り、内向きの管理発想を先行させない所に、健全な心身が確認され、原理探求型の長期的な人格を根に持つ主体性という認識に及ぶ。

間に何かを容れたがり、優位な立場を主導しようという発想は、現代人としては旧型であり、自己の歩みに自信のない姿を表し、小手先性の発想を常態する体質と浮かび、腹の底を顕著に示す姿と知覚される。良質な対人関係を志向しない対象との分断性を好まれる志向性に在り、原理創造型の客観的な自他の評価を志向しない所からは、良い気流が増進せず、支配願望ばかりが進む歪んだ空間秩序を増進させる。

旧型の政治家やマスコミという領域の原理であって、無能な管理職にも度々現れる姿であり、自己生産への真摯なエネルギーを投じられて、地に足のつく自尊心が生まれ、その確かな歩みから、根源的な層からの原理への適正な計りを持つ、公明正大な態度が生まれる。

単純物性寄りの原理に陥らない理性の所在が確認され、ここに良質な前進性の建設的な秩序が増産される。外堀を埋める等という事がしばしば言われる。発想としては二次三次的な相手方の性質によってはやむ負えない手法であり、本筋とは外れた対象との向き合い方であり、この政治的手法ともいう形からは信頼形成に及ばず、調和性を求めない単純な利己的性質を常態される道の歩み方であり、フラットな感性を堅持される文化基盤のない経済人といった性質に映りだされる。

政治も経済もこの発想が濃厚に占めれば、物性の狭い世界での流れが支配的に成り、見せかけの虚像や安易な盗みによる手法での生産へと走り、原理自体を磨きあげ真理を高める軌道を弱められる。堂々とした文化と外れた三流発想からの脱皮が、健全な心身を表すものと思います。規格量産模倣型の発想から、根源性と全体観のオリジナルな構築力を創り上げ、独自の尺度による計りを持ち、それに忠実な対象との関係を作り出せるかに、主体性の向上が実感される。

道の歩み方の相違から、同質的な感性を持つ人々のグループが出来、物性と理性の割合感覚として浮かび上がる。犯罪や管理偏重は自信のない逃げを常態する人間から生まれ、自分に自信を持つには、根源からの思索をもち、独自の体系を築く事が要り、本書はこれに有用な観点を提供できるものと思います。