領域の世界観が定まらないうちは、一人前という扱いは成されず、自己が身を置く領域について確たる持論を述べられて、定見を備えた主体性という認識が生まれる。個別事象を重ね定期的な集約の機会を持ち、次第に固定的な不動の見識が定まり、他者の小手先の批評や意見に振り回されない根本と基軸の備わった領域の概念が創り上げられる。そこから個別的な事象の配置が作られ、自己の主体性をもつ人格の実感が形成される。
経済とは、政治とは、文化とは、これらの関係性は?という社会観や、自然と社会、人間という根源観念についての見識が固まり、その枠組みという価値観が生まれて、堂々と人に述べられて一人前の主体性が確認される。個々の小さな体験の積み重ねと集約の反復という感覚体験を通した観念形成によって、質実の体内に取り込まれた考えが備わり、自然反応的に個別の見解が現れる。それが、主義や思想という纏まりある行動動原理に及び、右往左往の少ない柱を備えた人間像と映し出される。
理念やビジョンと掲げる事と、実際上の姿に整合が高まり、この状態に信用や信頼という言葉が当てられる。人との異同が少なからず生まれ、ここは変えられない部分、幅が生まれる部分、柔軟に解釈する部分、といった程度差を持ち、人との相違に寛容なスタンスが生まれると同時に、芯となる部分を表す事に成る。
日本人という国籍上の形式と、過去の歴史から不動的な価値として連綿と続く部分が生まれ、その解釈や感度、割合、深さ等々の個人差が生まれるものの、一定の型枠について多くの人が良いや美と感じられる事柄は自然と身につけ実際上の感性と生き、違和感の少ない根源理性になり、表層の創造事物にこの要素が少なからず含まれて、空間の快適性を抱かれる事に思われます。
下限の善悪は特定空間に関わらず汎用的な事柄に成り、そして、前進的な創造という積極的な規定が創り出される。この間に、空間独自の共通的な感受性が配されるといった構成をとるのが、外側へ向けた発想や異同についての尊重ある構えにも思われます。
冒頭の領域についての持論とは、積極的な創造過程の中で創り上げられる事柄に成り、個々人の通られた道の相違から、多彩な感性が示される事に思います。自己を制御する体系が作られて、下限的な事がクリアーされて、まともな他者との建設的な意見交換が生まれ、その状態にないうちはそれに適する配置が生まれるのでしょう。
ただ金があるという物的依存の感性には、本来的な信頼が寄せられず、一貫性の在る自制を持つ主体性に、真の対話が創り出される。