文化慣習

観念設計に於いては、どの程度の深みを持つ構造であるのかに根拠の納得度が形成される。加工度を繰り返して作られる観念で在るほどに、基礎づけとなる原理から遠のき、軽く浅い感覚の言葉と及び、人々にとっての重要度とそれを形成する基軸論理と離れた実感が創り出される。この感覚が、根元と基幹と枝葉という有機体の姿から表される重要性の程度となり、知的概念の創造に対照されて価値的認識が生まれる。

現代社会の分業化の進展は、業務を細かく区切り、全体と個別の配置における個別の多産状態に進行し、基軸がどこにあるのかの意識が弱まり、部分最適性を追いかける傾向に及び、歪んだ価値の序列に陥る事も少なくない。つまり、最も重要とされる事柄の認識が薄まり、細部の目的化した意識が強まって、効果の浅い創造事物が生み出される。

短サイクル多様性、という産業ライフサイクルを反映して生じる傾向と現れ、基礎研究が軽視されるかの取り組みには、主客転倒のベクトルの下でのエネルギーの投下という基本的なフレームの誤りへ向かい、このズレについて定期的な反省や見直しを設けて進行させる重要性の認識が生まれる。この作用が、文化という長期性の価値を省みる領域と現れ、自己を知り、自己が制御され、作られる創造活動へと連なるものと思います。

この性格を持つのが本書の領域に成り、根源的な層からの原理の探索や確認を持ち、時の変わり易い変化に対して、重要性の峻別を与え、細部への過剰な傾注を回避し、基幹を持った取り組みを実現させる。広い視野から見る重複投資や無駄な浪費を予防する長い目で見た合理性を叶える普遍則に沿った行為に及び、確かな基幹の太さがエネルギーの集中を持続させ、良質な効果を産出する言わば安定装置と備わり、致命的な事態を回避する根本の原理を作りだすものと思います。

定期的にこうした骨の矯正を成す機会を設けられて、歪んだ骨組みにメンテナンスを与える持続的活動を少なからず作り、安定と成長の方角感が維持される事でしょう。一日や一月、3か月や半年、1年といった節目を設け、基軸の確認をとりながら、多様な情報に過度な影響を受けない賢明な尺度が作られ、長い感覚の不変性が堅持される。

当たり前という感覚の形成が、気づかぬ間に横道に逸れ、いつの間にか常識感に及び、良好な価値を失う損失は、計りじれず、定期的に根源の焦点から重層認識を作り出す規則性が大きな成果の動力源に連なり、この面への認識を強めた発想に確かな判断や行為が形成される。

基盤面の良質性の維持は、自然には整わず、意識的に作りだされる活動であり、単調に見える事柄が重要な意味になり、力に振り回された行為がいつの間にか体質に及んで意思のない人格に陥り、犯罪に鈍感な感覚を作られ被害の発生源と堕落する。重要な事柄を当たり前に繰り返す事の大切さの認識が劣ると、自己制御の効かない主体性の欠いた行為が加速しクズをくずと思わない正当性を強められ、感受性が衰退し可笑しな感覚が慢性化する。盗みや詐欺を常態する体質へ及ばない重要な習慣を意図的に備えるのが文化慣習の意義に思います。

 

 

サイバー犯罪を許す事はありません。

 

犯罪者とまともな取引をする事はありません。犯罪に及び被害を与えた事に対して、直接の謝罪と賠償を果たして、場合によっては刑事罰を与え、この過程を経たうえで人格に何がしかの更生が生まれる。これを省略する事は、如何なる場合も許されない。サイバー犯罪に寄り、当方の論文を無許可で盗用した事による直接の謝罪と賠償を行えない者は、人間扱いする事はなくカスやごみと同列で在る事を念のため書き記します。

間接的取引に至るには、この直接的な過程を外す事はなく、例外を与える事はなく、犯罪者としての、当たり前の行為を見せて、人間と扱う事に成り、某放送局や精神的に異常な経済団体、某新聞社、健康な心身を持たない政治家等々は、ごみで在り、一切の例外はなく、直接の損害を賠償してまともな更生を経て、まともな扱いが生まれる。

これを外したけじめのない付き合いは互いに不幸であり、迷惑な存在であり、人格ある善良な人々との健康な付き合いを私は選択します。

未だにサイバー犯罪に寄り、論文を盗み、活用している実感が生まれます。警察への被害相談を申し出しても答えないこの国のインフラ水準には、がっくりであり、その原因を探り、有効な施策を考案して、こうした被害を最小にとどめ、プラス性の創造に足を引っ張らない文化秩序の形成が志向されます。

恐らくこうした類似事象に遭遇され、問題認識をお持ちの良質な人々も多数おられる事でしょう。そうした人々との良質な関わりを望み、ゴミを一掃するような事も少なからず協働できれば幸いです。

概ね悪性の根元への特定は、想定される事に思われます。一切妥協せずに、当たり前の対応を粛々と進め、看過せずに良質性へのエネルギーを投じる事に成り、まずはこうした事への対応策という性格を含む『日本文化原論 真なる調和への道 』を出版する事へと尽力いたします。

 

平成26年7月31日

横山 俊一

0-6思想の根源

最も収益が上がる事業とは最も人々が求めている事であり、短期的一過性の欲望からはこの状態が生まれない。中長期に及んで望まれる事柄を持続的に提供出来て利益が生み出される。この意味の利益追求が供給者の理想的なマインドとなり、狭い意味の経済概念を超えて多くの利害を包含した概念の形成と及び、私益と公益の区分を統合して根源から質実を図る視点が欠かせない。

人間の生理的欲望から他生物の生命を奪い生き続ける事実を踏まえた心理的な欲望の充足という図式によって健全な発想をもつ自立と協調の関係が描き出される。衣食住が生存に欠かせない必要物資で在り、この安定基盤が何より先んじられ、その確立と余裕をもち心理的な豊かさへと発想が向けられる。この適正感をどの辺りで見るかに個人差が生まれ生理と心理の割合感覚が作られる。生理面を一遍に望まれた感覚的充足への進行は心理面の充足を下げると抱くのが多くの人々の感性に思われます。そして両面の適正を求めて持続的な軌道を作り安定的感情が現れる。この基軸動態が活動の背骨と形成される。

今日的な現況は、物理性の過度な進行という心象や実感が生まれ、生理面を得るのに見境の弱い反応が加速している感を持ち、ここから心理面と生理面の解明や、欲望の在り方を再考する契機が生まれ、分業やサービス経済化の中で直接的な心理の充実を図る創造領域への要望も生まれる。本来的基軸には生理と心理を両面取り入れた創造に真っ当性が現れ、いずれか一方という性格には基軸とズレた感情が映り生理的性格の実態認識から目を逸らした心理性の偏りに主客の分離した理想主義や偽善への不快感が生まれる。

この感性が置かれて、現況に対する皮膚感覚から両面の適正を創り上げる発想に、理想と現実と方法の図式が現れ、いずれかへの行き過ぎに制御を果たす所に、変容しづらい人間の志向性を感じます。外界へばかり美しさを求める主客の分離は、実態の人間を見ずに過剰な美化を求められ、逆に性悪説へ偏して猜疑心や詐欺等が慢性化する対立性の状態への行き過ぎにも、先鋭化した物的衝突を招き、どの辺りを基準にするかに中長期性の利益という概念が生まれこの欲望が文化論の観点で言う収益性の最大化の意味になり不動的な感情の姿が掴みだされる。ボランティアや非営利組織、芸術という活動にこうした概念が弱いものであれば、歪んだ心理の利益追求が進み健康な利益に陰りを落とされる。真に有益な利益概念の創造と保有と実践に健全な成長軌道が添えられる。

このビジョンの導出には、ミクロ面における正負を内包する根源の人間像に立脚した発想が健全な創造を生む源泉に思われます。自己と対象を同列と構える重層の認識から、生物に対する繊細な感受性を含んだ対話が生まれ、命を奪い生きる客観認識が手放しで自己肯定感を持つ事への罪悪感を含んだ感性に通じ、それに即した反応に健康な心身を有する人間の姿が現れる。この感覚を欠いた自己中心性の強まりに歪んだ精神の根源的原因が浮かび人との関係に現れる。過剰な美化からは良質な感性を曇らせ人間が持つ負への感性が正しい美を創り上げる。

こうした論理が教科書的に掲げられ各種の立場における実際的な見え方の相違が生まれミクロの一次的体験による事実を経ながら細かな実感が形成されて、イメージと感覚との適正な認識が創り出される事に思われます。この一次体験の簡略化から思い込みの過度な姿や、盗みや詐欺に進む箍の外れた安易な力の用い方が進み感情の崩れを作りだす。身体と精神の弱まりと映り、二次情報の過信や、頭脳過多や物理依存の弊害が今日的な問題点と現れるという因果で浮かびます。