3-6真の能力概念

感受性や倫理道徳、自制心を能力と捉えない所に、そもそもの誤りがあり、人間を知らずに機能面ばかりへと偏重するならば、需給のミスマッチや過度に力んだ物理性による支配という発想が強まりを見せる。この在り方への違和感を抱かない感性には、どこか崩れた人格と映し出され、人間の概念から外れた能力の弱い主体性と描き出されます。能力という概念を偏狭に捉えて最も重要な要素を外した経済感覚にはブレーキを踏んで、健全な能力概念を再編成する事が要り、哲学や倫理道徳の弱い機能への偏りからは、歪んだ生産や制度、価値観が創り上げられる。

感覚体験を通した感情の形成によって人間の生身の姿を知る事に成り、これが弱いとそもそものニーズを窺い知る嗅覚が育たずに、機能ばかりへの解明と応用に走り人間を作る発想に及ばず、目先の即効性へ偏した片手落ちの生産や社会秩序が形成される。能力という概念はこうした想定から創り上げられ、質実の実感に及ぶ作り込みがあって、真の能力を捉える事に成り、狭く狭く分業化した生産体系から何か大事な観点を抜け落とし物的感覚を強められる事には、誤った軌道を進められ、豊かな人間生活とかけ離れた貧困性を深められる。様々な資格要件にこの概念が抜け落ちる事には、基本設計上の欠陥を生みだし、良質なアウトプットに及ばず、犯罪や不快事象が多発する懸念が浮かびます。偏狭化した感覚を適正に修正するのが、目先の利益と中長期の軌道に叶い、重要点の再認識の上に各種の創造をチャレンジするという論理が浮かび上がります。

報酬体系も真の能力概念から付加価値を算定し、単純な機械性に偏した構成や管理方と実務者との格差への見直し等が求められ、身体作用と頭脳と感情という三作用のバランスの良い付加価値体系へと再編する事が、健康な心身に基づく発想や思考と行為を表すものと感じます。単純性の強まりは、感受性の退化や衰退となり、感覚的実感への認識へと強まり、心理的な側面への価値を弱められ、実感要素の短変数化に陥り目先の欲ばかりを追いかける方程式が定型化され健康な人間概念を弱められる。こうしたパラダイムの再構成が現代の転換期に浮かび上がる重要な課題に思います。

 

3)違和感の少ない人間形成過程

 

二次情報という性格の知識を多く詰め込み、感覚的な一次体験からの知識を得る事の弱まりには健康な精神が備わらない。本からの知識は他人の感覚体験であり、自身の感覚を通した知識に於いて、感受性の育成や成長体験が含まれ、精神面と活きた知識との質実を持つ体形が生まれ、そこに人の感情を伺いながら繊細な感覚を経た知識が積み重なり、良質な精神状態が育成される。これが弱いと妙な優越意識が先行し、二次情報に過信を起こし、人より優れているという意識が高まってフラットな感性を損ない、歪んだ意識から行為に及び、まともな感覚と離れた人格が生み出される。こうした面が顕著に現れるのが現代の特性に見受けられます。教育制度や社会秩序形成上の誤りという感じに映し出され、それへの改革という思索が生まれます。

直接的感覚体験の弱い弐次的三次的フレーム形成には、供給側の偏った利己的性格の観念体系が創り出され、フラットな感性から生まれる均衡感覚と離れた制度や仕組みが強まり、感覚の積み上げによる感受性の形成の程良い循環が、質実の取れた知識の形成と創造に及び、極端な二次情報の入力を短い時間で急激に入れ込むことへの無理がたたり、精神的な異質性という感じ方に映し出される事も少なくなく、生涯学習というスタンスから無理のない学びが備わり、良質な創造が形成される。

犯罪の発生や道徳の弱さは、この極端な人間形成に端を発して生み出される健全な意識との乖離が原因に浮かび上がり、感覚と頭脳を感情を介して創り出す所に、健康な心身が宿される。こうした型式に標準感覚をもち、長い社会生活を形成する事に過度に力んだ状態からの修正が生まれ、物理性と理性の良質な在り方が実現されるという想像が浮かびます。

急激に二次的知を容れて、感情体験が弱いと人間を知る事に及ばず、そして持続的探求が成されないという状態が在るならば、そこにはどこか可笑しな精神状態が創り出され、フラットな感覚と異なる感性が作られて、飛び越えた発想や行為が生まれて、不快事象を生みだされる。権限と責任感覚のアンバランスや、能力と配置の不均衡な姿と映り、健康な心身は映し出されない。

このような因果をどれだけの人々が有されるかは未だ推測の域で在りますが、人間創造上の肝と浮かび上がり、教育哲学や教育プログラムに、こうした要素を取り入れた人間形成に健康な筋道が浮かび上がります。機能的側面と感受性との質量の均衡した状態や、持続的な探究心を備えた活動に良質な心身が生まれ、道を外さない歩みの実現が果たされる。

1)心身の健康

感受性から対象の認識力へ及び、それへの感受性が発生し、方法を導出するのに感覚と頭脳を用いて、快適は増進、不快は減少へとエネルギーが投じられる。この流れから次第に、方法が多産され、物的側面での豊かさが増進され、感覚を使わない環境が生み出された。

人と物との関係が増え、人と人の関係が減少し、感覚的接触が減じて、感受性を経ない事から、その面の劣化や衰退にと回る。感受性の弱まりは、感覚という身体状態の作用に起因し頭脳へ偏した操作性に及ぶ。つまり、科学技術の力を用いるほどに、自身の身体の活用機会は減り、その弱まりと頭脳への作業性が強まり、実態的感覚面からの認識が減り、感受性の弱まりや貧困化へと連なる因果を感じます。このような因果が人と物の関係における実感認識に成り、現況の欲望の生じ方を掴み、人間自体を知る事に成り、それに対する快適不快の感覚が生まれ、マイナスを補う思索へと探求が進み、欲望自体の調整が生み出される。各種生産や法規制・制度の構築への変質が生まれ、その結果を人間が感じ取り、正負の判断を掴み、生産へと循環するサイクルが現れる。自然へも生命を感じる感性が人へと反映され、命と命の対話感覚を持つのと、生命体という感覚が失われた関わりとは、異なる感受性で現れ発想思考行為の相違に及ぶ。対立的な対峙と強要的操作性が強まり、同列感覚がなくなり人間側のエゴが高まり、その充足を基調とした活動が強まりを見せる。それへの満足感が一定程度獲得された分、感受性の劣りへの認識が生まれて、それに対する感じ方から変化の程度が生まれる。

このような想定の下に、人間側を知るのが、文化論の焦点に合わされ、身体感覚と頭脳の作用と人へ対する感受性や物や自然へ対する関わりを知り、どうしたいかの感情を知り、人間自体を知る事に成り、作るという動作が生み出される。身体感覚を用いた生物的な健康管理という面へと焦点が高まり人との対話が増進し、頭脳側の操作性との良好なバランスへ及んで、心身の良好な状態が創り上げられる。こうした志向性への喚起が本書の基調に現れそのベクトルへ向けた施策やベクトル上の強化という性格の論理が各種生み出され、感覚と頭脳の有機性から欲望の健全さに及び、行為や思考が変わり人間が変容するといった一連のストーリーで描かれ、生物的な仕組みと情緒的な側面で人間像が形成されます。犯罪とは情緒的な感受性を根にして作られた各種の制限を超える行為に成り人間の壊れた状態を表しこの状態にある者に力を与えれば社会は乱れるのが自明の理であり根源を取り除く事がシンプルな改革に思います。これ以上でも以下でもなく、淡々と執り行えてインフラの良質性が維持向上される事でしょう。