文化水準の現れと改善過程

「すいません。申し訳ありません」といった失敗を謝罪することばを率直に示す事は健康な感性の現れであり、しかしながら、この言葉で留まる感性には、どこか異常な精神が映し出される。この感覚が想定される主体性には、実際的な感情も能力も見受けられず、実質的な損得を想定した主体性の選択を持つのが、現実的な人々の判断に固まり、失敗や約束を反故にした事に対する行為の実際で真価が計られ、法や制度に過剰な信用を与えずに、個々人の体験から実質的な活きた認識となる知恵や行為が形成される。

この発想の流れが在る一方で、フォーマルな規定の形成や改良を実態に即した運用が行えるように、各種の分析を充て要件の規定を創り上げる活動が併存して生み出される。

損害への規定をあらかじめ定め、実態的な失敗や不快を万が一に想定し、その損害を補てんする事に、誠実さや信用の構えの実態が実感され、現代の商慣行や対人関係の深まりに及び、「すいません、やめて責任を取ります」等という事の不道徳な振る舞いを許さない感度が形成されている。この感覚に至極当然の感情の質実が見てとれ、この異質な感覚を常識と持つ主体への改良が、万が一に対する予防策として思索が深まり、事前型の良質性を作りだすエネルギーが投じられる。社会システム改革等の大きな視点から身近な対人関係という事までこうした視座を持ちマイナス面の回避や予防を考え、実態的な構えを創り上げるのが常識感覚に現れる。

これの以前には基礎的善悪についての認識と実態的行為という初歩的基盤が当たり前に形成され、その上で約束を取り交わす個別の複雑な事柄が想定されて、その履行へと全力投球されて、それでも失敗という面を少なからず想定した関係を作り、上記のような構えが創り上げられる。初歩の基盤の脆弱さは、次元が異なり関係の深化に及ばない。感性の基本的な壊れであり、この認識の弱さは、まともなルートを経て創り上げられる感覚とは大きな相違を持ち、ここに根源の改善点が浮かびます。

政治行政という領域で度々見られる謝罪の在り方や感覚には、こうした民間の感性との大きな乖離をしばしば感じられ、職を辞めて責任をとるかの感覚に、理解の離れた常識感覚が現れる。或いは、物理性への過剰な依存体質から、下限的な法をいとも簡単に踏み超える感性にも、基礎的な道徳を踏み外した振る舞いと映し出され、いずれも文化基盤という面からみると、健全な感性を壊した力への依存症と及び、まともな関係を築きあげる事への困難さが想定されます。

このような根源的な側面を浮かび上がらせて健全な感性を探り、その実態性を高める事が、文化水準の維持や上昇策となり、認識の明瞭性という事から、問題点の絞り込みが生まれて、それへの改良策という過程が創り上げられる。

段階的な区分を丁寧に進行させて、大きな目標へと次第に近づくといった歩み方に実効性が叶い、質実に在った実感を掴む事に健康な感性が現れるように思います。

心身の健全と病気を表す境と思われる所を示して、それへの異同を形成し同質感覚との協働秩序形成に及ぶのが、現実的な実行プロセスに現れる。

以上の想定は、ごく限られた経済行為の一面を焦点にした問題の特定例に成り、実際にはより多数の因果関係の実感があって、細かな問題の認識が創り上げられるものと思います。

 

外界と現場と管理

形式的ルールが創り上げられ、勝敗や各種制限が設けられる。その枠組みの製作が、活動の主体者から望まれる規定で在る事が活きた納得性を帯びるルールに成り、管理型の発想からはこの主体者の側から生まれる発想とかけ離れる。

管理運営側の見る変数と感覚的実施者の見る変数の相違からこのズレが生まれる。両者の側が考える重要ポイントや関係要素を明らかにして、相互の理解を進めて、車の両輪が回り、この相違を曖昧にする事から、対立的な感情が生まれ、良好な発展や成長を阻害する。

何を理由に曖昧にされるか、個々の私欲性を優先し、都合のよい部分に比重を置くとなると不協和音は強まり、対立感覚のままエネルギーの統一感が現れず、強権的な管理運営に陥り現場のエネルギーをふさぎ込み衰退への道を辿る。

または、現場の感覚に偏り顧客を無視した進行から、領域が萎むという流れがあり、その意見を汲み取り集約的方針が現場に伝達され、外界との接点が築き上げられる。顧客の持つ現場感覚の客観的把握が軽視されて、実施主体の現場感覚による身勝手な意志のまま外界を無視して衰退する。

この両面を踏まえた相互調整策が、長い活動を想定した際には不可欠になり、需給の一致や牽引策として現れる。

これが外界と領域、現場感覚と管理型の皮膚感の相違と、相互理解と協働活動の過程に見られ、そして大本には出来る限り近い理念とその解釈の同質性が備わり、いくつもの矛盾を乗り越える調和策が作られる。領域内に理念が留まらず、外界の意思を含んだ理念の成長と及んで、領域の拡大や成長とも見られ、量の増大や質の充実という観点から、これらの方針が現れる。領域が持つ真価の付け方の相違か、利己的個人の性質か、観点の相違によるズレか。

一貫した感度は積み上げ型の体験から生み出される。しかし、その領域からは発見しづらい観点の創出という面が在り、叩きあげ型の感覚と、他の世界での感覚との交わりから良質な施策が生まれるか、悪質な施策と捉えるか、大本の優先価値の同質性がこれらの判断を分けられる。

外界迎合的な領域か、外界牽引型の領域か、その割合感覚やタイミングなど、科学技術という感覚性の力か、情緒的な力か、混合か、

こうした大別で需給構造の認識が生まれ、そして、どこにどんな力を投じるかの決断という作り込みが成され、外界との対話を繰り返し、両面の微調整をどんなスパンで更新するか等の認識と行為の持続的な活動が展開される。

このような活動の観念をある程度備えられて、相互認識の良好性に及び、局所と中局と大局、時の分母感という構造の下に、協働生産や個々人の志向の割合や関係の繋ぎを考える事に思います。全体集約という立場の必要性や、現場感覚の重要性、其々に意義が生まれ、納得性在る進行への意識を持ち、実感を生みながら、大小の成功感覚や失敗感覚を経験し、不変的な価値の認識が形成され、そこからの応用という流れが強まりを見せる。

不変的な価値には、正直、誠実、信用、といった抽象観念で纏められ、その実感規定の取り方に広い幅が生まれると同一感情が形成されない。この微妙な感覚が緊張と緩和の循環という時の重なりを経る事から狭まるものでしょう。

以上のような抽象論と個別性の適用から各自の事実認識や価値形成に連なるという想定が生まれ、共通的プラットフォームの意義が少なからず生まれるように思います。