不変の真理:そして、原因と結果を示す実感の取り方から事実という生じた事象の認識が取られる。ここに物的痕跡や人間の動機や発想、欲望の起こり方と行為の規則性から見る因果の取り方が生まれる。この活動に対して、快不快や善悪美醜という心象や感受性が起こり、事実への価値が加えられマイナスを抑制、プラスを増進という志向性と現れる。事実の特定に、どこまでの因果の実感を取られるべきか、感覚の及ぶ範囲や緻密さが事象の特定に作用し、又は感受性の起こり方から範囲が限定される。この無意識的な感覚と意識的な作為性をもって、原因と結果と未来の創造を含んだ判断が生まれる。
法で想定される事柄と物的証拠の実感へと意識が注がれ、法的勝利を意図した対人性が強まる事には偏狭性と精神的歪性が実感され、快適性の増進という目的と法による統治という方法について其々の内容と関係を欲望と充足という面から思索を及ばせ人間自体を映し出し、それへの快適と不快を感じとり、行為の絞り込みと明文化による想定と個別事実の特定が作られ、予めの想定と適用という次元の事実が作られる。予めの想定は、過去の事象と先々の想像を含んで作りだされ未来寄りの適用と過去よりの適用という程度が生まれる。予めの想定について、如何に良好なビジョンを創り上げるかに思想家の真価が取られる。生命への感受性から、願望や方法という具体的な限定に及ぶ因果関係を見るならば起点は生命観にあり、生と滅の良好性へのビジョンを探して土台となる観念が作られる。
滅へは不快、生へは快適感を抱くのが健康な感性であり、これを基本として願望が湧き方法を作る事に標準感覚が定められる。自己と他者、主体と外界を含んでこれを達する歩みを模索される所に人間が現れる。これが感覚と観念を繋ぐ根源の感性に成り人間像の中枢に備えられる。
そして各種創造へと思いを及ばせ正負を勘案しながら最良の道を作りだす事が普遍の理念に想定されます。細部へ意識が集中し根源や基軸があやふやに陥った際に立ち返るべき初動の視点と備えられ正しい方角感を保った意思や論理が生まれる。これらが少なからず万人的な感受性となって事象の連鎖性が生まれて全体としての好循環が遂げられる。現在時点における不変の真理と描き出されます。
年齢や経験の積み重ねにより、いくつもの失敗や成功という感覚を抱きながら次第に考え方が知肉となり現れるものと思います。初めから完璧等という事を目指さずに、感覚的な体験の中で様々な感情や気づきが生まれ、プラスマイナスを味わいながら進行するものと思います。失敗を過度に恐れ観念ばかりを巡らせる事にも健康は阻害され、両面の適度な循環から実態を掴んで徐々に質実の在った体形が固まるものと思われます。大きな観念的土台は外さずに、中小の失敗などには寛容な面が備わって前進的な文化の活力が込み上げられるものと思います。お縄に成っていないだけで実態はコソ泥という人が意外に少なくないかに思われる事を鑑みるとこの面に真価を創り上げるポイントが浮かび上がります。