事象の因果と文化論

労使関係の制度に派遣という型式が生まれ、組織への関与の仕方に選択肢が設けられる。これを望む人も職務の特性等からおられる事かもしれませんが、経営側と労働側での感度も異なるものと思われます。

端的には違和感が強く、集団への帰属意識は薄まり組織の財産も売り飛ばす事や盗みが生まれる因果と浮かび上がる。この負の面への対処策に資源を投じてやり過ごす利己的な応急処置が生まれ、人の連なりは希薄化した協働生産体制が現れる。この面が副作用と出現し、安価な人件費という単純解釈ですまされない実質的なエネルギーの向きや強弱、潜在的な不満からの犯罪、二次的被害等の治安の悪化、特異な犯罪の出現等々に及び、根源的な人間の性質を外したストレスという性格の事象にも感じられます。ここから過当競争や物的感覚への修正の起点が作られる。

犯罪に及んだ原因に目を投じ、どこに実質的な問題の認識を実感するかに、表面と根本の構造が映し出され、確かな認識が整い善悪の重みづけが生まれ改善策が投じられる。

局所と仕組みと根源の人間像といった3層の静態構造と、時間の動態で作られた心象等が絡まり、動静の対象として実際的な感度を持つ認識が形成され、全体観の中での部分事象として事柄の適正な性格が把握される。遠くの事が身近に及ぶ事象の連鎖性を分析し上流や根源を捉え、根を変えて基軸の動態へと反映し個々の事象が生み出される。文化論は、根元の健康を追求して、良質な事象を生みだす人々の営みと思います。

 

根源的信用破綻への注意喚起‐サイバー犯罪等の技術犯罪の性格

信用は創り上げる事に成り、過剰に外界へ求めて監視や盗撮、盗聴などの行為は、外界からの信用は得られない。一方的な強欲性がこうした技術を間違った欲望の下にタガを外して用いる所には、信用などは生まれず、人間関係が作られない。資本主義の過度に進んだ物的感覚は、感受性の衰退した壊れた人間を生みだされる。

 このような力の利用に、モラルハザードという言葉が当てられ、物的感性一遍に陥る悪例になり、自制心を保てない物理依存は、金銭への単純方程式で固まり空虚な焦燥感で精神が支配される。情緒的な繋がりを創り上げる初心のスタイルを見失う事が、乾いた感覚を深めて、技術の歪んだ利用にまで着手され、一度その線を越えると、それによる感覚が当たり前になり、汗をかいて信用を作る作法を外される。

 こうした精神状態に行かない聖域を備える事に人間の価値が備わり物理性を内包する感覚と感受性といった特別の優れた測定機を手放さずに、その欲望を充足し続けられる事による満足感や豊かさを味わう事に成る。ここを失うと糸の切れた凧のように、力への従属性が慢性化して、感受性を味わう事無くお金の単純作用に陥り、人との関係から得られる充実感への欲望が生まれず、信用されず信用しない感性によるふらふらした反応や振る舞いが顕著に映し出される。

 人へ被害を与えなければ、敢えてそれへの指摘も控えられるものの、こうした事象が広がる事の懸念が浮かび、被害予防をミクロマクロの観点から講じる必要を感じます。いかれた感性からの悪性の連鎖を、深刻に受け止めた社会秩序の堅持が、失うべきでない価値を守る為に要り、この焦点を強めた事象の観測と表出をさせ、因果への深い理解を認識して、空虚な人間へと陥らない為の問題意識を掴んで、自制の取れた感性が持続可能な成長軌道の確保に繋がる。

 盗聴や盗撮という事への安易な認識は取らずに、軽視できない人間の心理状態を的確に把握した扱いを持ち、歪みの連鎖を留め、技術や力との適正な関係を作る事に感受性という人間特有の価値の喪失を防ぐ事に及ぶ。このような意識を強めて、体験や歴史の知恵から技術を用いる事の要件がはじき出され、この出発点には人間の不動的な感受性が作用し、この面が発想や思考、行為への制約を生みだす動力基盤と備えられる。ここを崩した人間に力を与えない社会の自然律と固める事が重要に思います。

 一種の精神的な病気であって、その自覚症状の生まれづらい性格に見受けられ、箍が効かない深刻な姿という認識の下に、適正な対処や予防策を投じる事が比較的優先度の高い基盤の強化策に浮かび上がります。サイバー犯罪等の技術を用いた異質性の本質はこうした流れで描き出され、軽視の出来ない人間の破壊という姿と認識すべき事柄に思います。

これらの行為になんら正当化する余地はなく、真っ当な道へと更生させる事が犯罪者への正しい対処であり、一部の公的立場にこれらの性質が蔓延るかの推察が及び、これに在っては尚更、神経を張った取り扱いが急務であると思います。マスコミや政治家、インターネット業者という特殊世界をしっかりと健康な歩みに導く個々人の意識の涵養がこうした事象を通して形成されるものと思います。

壊れた感性に対する敏感な反応がなくなり、同化や慢性、浸透という状態に行かない強い意志を働かせる事が文化論からの主要な提起と現れます。