野次については、一言で述べると裏でこそこそ悪性を働くやつよりも、よほどまし。
能力がないのに、秀才気取りで裏表の態度差の激しい人格の分離が現代の問題であって、この性格は精神面のひ弱さから、正面でぶつからずに裏でこそこそ姑息な犯罪をやる。これが、頭脳偏重で妙な空のプライドに執着し利己性の高い性格を顕著に示す。権限と責任の乖離した責任意識の弱い体質であり、ミクロ面からの信頼形成を出来ない。マクロに偏した頭脳過多で、根源や生身の感性に欠陥が浮かぶ。この面に教育の改善点が現れ、身体感覚と頭脳の適正な作用を常態させ、客観的な自己認識を取れる責任感覚を備えた感性づくりが、健康な人間像となり、小手先の手法を多用して、人間関係の歪みを拡大させる面への認識が足らず、野次程度の事で過度に神経を尖らせ、実態的な真価から離れる歪みに、煩わしい体質が映しだされる。表裏の離れた人格は、ごまかしは出来ず、明瞭にその姿が知覚され、真価を付けられる目を多くの人は備えられる事と思います。規格量産の生産が、表面的なエラーに神経質になり、物事を動かす本質的なアナログ面の体質を弱められる事には、誤った秩序を作りだし、横道にそれた基軸の細い感性を慢性化させる。
文字文化の発展は、一次体験面の感覚を痩せ細りに繋げる。文字ばかりの認識は、根元からの強いエネルギーを発散せずに、表面上の着飾りを多発させ、やじなどの行為についても安直な指摘を生み、子供の学級会かの様相を感じさせる。頭脳に偏った感覚体験の少ないひ弱さの進行という理性過多や、利己性に偏した物理力の利用といういずれの姿にも、原因は生身の精神的な衰退から作られ、ここに焦点を持って、真に良質な文化基盤を形成する事が重要と考えられます。