文化慣習

観念設計に於いては、どの程度の深みを持つ構造であるのかに根拠の納得度が形成される。加工度を繰り返して作られる観念で在るほどに、基礎づけとなる原理から遠のき、軽く浅い感覚の言葉と及び、人々にとっての重要度とそれを形成する基軸論理と離れた実感が創り出される。この感覚が、根元と基幹と枝葉という有機体の姿から表される重要性の程度となり、知的概念の創造に対照されて価値的認識が生まれる。

現代社会の分業化の進展は、業務を細かく区切り、全体と個別の配置における個別の多産状態に進行し、基軸がどこにあるのかの意識が弱まり、部分最適性を追いかける傾向に及び、歪んだ価値の序列に陥る事も少なくない。つまり、最も重要とされる事柄の認識が薄まり、細部の目的化した意識が強まって、効果の浅い創造事物が生み出される。

短サイクル多様性、という産業ライフサイクルを反映して生じる傾向と現れ、基礎研究が軽視されるかの取り組みには、主客転倒のベクトルの下でのエネルギーの投下という基本的なフレームの誤りへ向かい、このズレについて定期的な反省や見直しを設けて進行させる重要性の認識が生まれる。この作用が、文化という長期性の価値を省みる領域と現れ、自己を知り、自己が制御され、作られる創造活動へと連なるものと思います。

この性格を持つのが本書の領域に成り、根源的な層からの原理の探索や確認を持ち、時の変わり易い変化に対して、重要性の峻別を与え、細部への過剰な傾注を回避し、基幹を持った取り組みを実現させる。広い視野から見る重複投資や無駄な浪費を予防する長い目で見た合理性を叶える普遍則に沿った行為に及び、確かな基幹の太さがエネルギーの集中を持続させ、良質な効果を産出する言わば安定装置と備わり、致命的な事態を回避する根本の原理を作りだすものと思います。

定期的にこうした骨の矯正を成す機会を設けられて、歪んだ骨組みにメンテナンスを与える持続的活動を少なからず作り、安定と成長の方角感が維持される事でしょう。一日や一月、3か月や半年、1年といった節目を設け、基軸の確認をとりながら、多様な情報に過度な影響を受けない賢明な尺度が作られ、長い感覚の不変性が堅持される。

当たり前という感覚の形成が、気づかぬ間に横道に逸れ、いつの間にか常識感に及び、良好な価値を失う損失は、計りじれず、定期的に根源の焦点から重層認識を作り出す規則性が大きな成果の動力源に連なり、この面への認識を強めた発想に確かな判断や行為が形成される。

基盤面の良質性の維持は、自然には整わず、意識的に作りだされる活動であり、単調に見える事柄が重要な意味になり、力に振り回された行為がいつの間にか体質に及んで意思のない人格に陥り、犯罪に鈍感な感覚を作られ被害の発生源と堕落する。重要な事柄を当たり前に繰り返す事の大切さの認識が劣ると、自己制御の効かない主体性の欠いた行為が加速しクズをくずと思わない正当性を強められ、感受性が衰退し可笑しな感覚が慢性化する。盗みや詐欺を常態する体質へ及ばない重要な習慣を意図的に備えるのが文化慣習の意義に思います。

 

 

サイバー犯罪を許す事はありません。

 

犯罪者とまともな取引をする事はありません。犯罪に及び被害を与えた事に対して、直接の謝罪と賠償を果たして、場合によっては刑事罰を与え、この過程を経たうえで人格に何がしかの更生が生まれる。これを省略する事は、如何なる場合も許されない。サイバー犯罪に寄り、当方の論文を無許可で盗用した事による直接の謝罪と賠償を行えない者は、人間扱いする事はなくカスやごみと同列で在る事を念のため書き記します。

間接的取引に至るには、この直接的な過程を外す事はなく、例外を与える事はなく、犯罪者としての、当たり前の行為を見せて、人間と扱う事に成り、某放送局や精神的に異常な経済団体、某新聞社、健康な心身を持たない政治家等々は、ごみで在り、一切の例外はなく、直接の損害を賠償してまともな更生を経て、まともな扱いが生まれる。

これを外したけじめのない付き合いは互いに不幸であり、迷惑な存在であり、人格ある善良な人々との健康な付き合いを私は選択します。

未だにサイバー犯罪に寄り、論文を盗み、活用している実感が生まれます。警察への被害相談を申し出しても答えないこの国のインフラ水準には、がっくりであり、その原因を探り、有効な施策を考案して、こうした被害を最小にとどめ、プラス性の創造に足を引っ張らない文化秩序の形成が志向されます。

恐らくこうした類似事象に遭遇され、問題認識をお持ちの良質な人々も多数おられる事でしょう。そうした人々との良質な関わりを望み、ゴミを一掃するような事も少なからず協働できれば幸いです。

概ね悪性の根元への特定は、想定される事に思われます。一切妥協せずに、当たり前の対応を粛々と進め、看過せずに良質性へのエネルギーを投じる事に成り、まずはこうした事への対応策という性格を含む『日本文化原論 真なる調和への道 』を出版する事へと尽力いたします。

 

平成26年7月31日

横山 俊一

0-6思想の根源

最も収益が上がる事業とは最も人々が求めている事であり、短期的一過性の欲望からはこの状態が生まれない。中長期に及んで望まれる事柄を持続的に提供出来て利益が生み出される。この意味の利益追求が供給者の理想的なマインドとなり、狭い意味の経済概念を超えて多くの利害を包含した概念の形成と及び、私益と公益の区分を統合して根源から質実を図る視点が欠かせない。

人間の生理的欲望から他生物の生命を奪い生き続ける事実を踏まえた心理的な欲望の充足という図式によって健全な発想をもつ自立と協調の関係が描き出される。衣食住が生存に欠かせない必要物資で在り、この安定基盤が何より先んじられ、その確立と余裕をもち心理的な豊かさへと発想が向けられる。この適正感をどの辺りで見るかに個人差が生まれ生理と心理の割合感覚が作られる。生理面を一遍に望まれた感覚的充足への進行は心理面の充足を下げると抱くのが多くの人々の感性に思われます。そして両面の適正を求めて持続的な軌道を作り安定的感情が現れる。この基軸動態が活動の背骨と形成される。

今日的な現況は、物理性の過度な進行という心象や実感が生まれ、生理面を得るのに見境の弱い反応が加速している感を持ち、ここから心理面と生理面の解明や、欲望の在り方を再考する契機が生まれ、分業やサービス経済化の中で直接的な心理の充実を図る創造領域への要望も生まれる。本来的基軸には生理と心理を両面取り入れた創造に真っ当性が現れ、いずれか一方という性格には基軸とズレた感情が映り生理的性格の実態認識から目を逸らした心理性の偏りに主客の分離した理想主義や偽善への不快感が生まれる。

この感性が置かれて、現況に対する皮膚感覚から両面の適正を創り上げる発想に、理想と現実と方法の図式が現れ、いずれかへの行き過ぎに制御を果たす所に、変容しづらい人間の志向性を感じます。外界へばかり美しさを求める主客の分離は、実態の人間を見ずに過剰な美化を求められ、逆に性悪説へ偏して猜疑心や詐欺等が慢性化する対立性の状態への行き過ぎにも、先鋭化した物的衝突を招き、どの辺りを基準にするかに中長期性の利益という概念が生まれこの欲望が文化論の観点で言う収益性の最大化の意味になり不動的な感情の姿が掴みだされる。ボランティアや非営利組織、芸術という活動にこうした概念が弱いものであれば、歪んだ心理の利益追求が進み健康な利益に陰りを落とされる。真に有益な利益概念の創造と保有と実践に健全な成長軌道が添えられる。

このビジョンの導出には、ミクロ面における正負を内包する根源の人間像に立脚した発想が健全な創造を生む源泉に思われます。自己と対象を同列と構える重層の認識から、生物に対する繊細な感受性を含んだ対話が生まれ、命を奪い生きる客観認識が手放しで自己肯定感を持つ事への罪悪感を含んだ感性に通じ、それに即した反応に健康な心身を有する人間の姿が現れる。この感覚を欠いた自己中心性の強まりに歪んだ精神の根源的原因が浮かび人との関係に現れる。過剰な美化からは良質な感性を曇らせ人間が持つ負への感性が正しい美を創り上げる。

こうした論理が教科書的に掲げられ各種の立場における実際的な見え方の相違が生まれミクロの一次的体験による事実を経ながら細かな実感が形成されて、イメージと感覚との適正な認識が創り出される事に思われます。この一次体験の簡略化から思い込みの過度な姿や、盗みや詐欺に進む箍の外れた安易な力の用い方が進み感情の崩れを作りだす。身体と精神の弱まりと映り、二次情報の過信や、頭脳過多や物理依存の弊害が今日的な問題点と現れるという因果で浮かびます。

 

インフラの良質性への道

共通的欲望の実現となるインフラの形成とその責任を担うのが、政治行政の役割であり、この現況認識と評価と施策を当たり前に責務と負う感覚の程度から、各人の資質や能力、意識を窺い知る事に成る。これを明示化するのに、理念や信条が高らかに掲げられ、実際の行為で測定される。

この大義の程度がスカスカで、個人的な利害へ偏した振る舞いを見せる事では、個々人の利益誘導的な態度が明瞭に映し出される。利益を提供するならまだしも、利益を提供するふりを見せて利益を奪う悪意性の強い騙しを常態的な発想に持つ悪性が散見され、この性格に力を持たせたり、マクロ観点上の要路に配しては、良質な好循環等あり得ず、寄生虫による搾取性が強まりを見せる。この実態に在る事から稼業の様相という性格で質実が捉えられ、公の利益やビジョンへの忠実な行為が取られずに商人という実像で認識される。

経済人に置かれても、この焦点から実業家としての格が計られ、理念やビジョンを尺度にした公明正大性な意思決定や行為に社会の公器という側面が現れ、影響力が広がるほどに責任感覚が強まり欲望と力と責任の均衡へと意識が注がれて、物理世界による支配から、共生感情をもつ人間世界が作られる。

政治行政に関わらず産業経済や教育文化というあらゆる創造行為に適用される原理となり、大きな欲望を抱き、そこに力が与えられ、マイナスを超えるプラスの活動という評価が下される要件となり、人々からの信頼が寄せられ社会を牽引される不動的な存在と知覚される。

この実質的な観測から力が与えられ、規模の大きさばかりの一面評価では留まらない力と責任を不可分として独立性の概念を適用する成熟社会の価値基準が作られ、健全な感性が維持される。

この責任感覚の所在や程度から期待や要望が寄せられ、更に信用が積み重なり、大きな存在として人々を牽引される主導者という認識が作られる。

この正の存在がいる一方で、逆のマイナスの存在が浮かび上がり、欲望と力と責任の不均衡であるばかりか、マイナス性の影響の発生源となり、空の理念と実態の姿の悪影響という乖離を見せ、利己的拝金性の人格の劣った姿が現れる。大きなパイを広げる発想よりも、ごく限定的な閉鎖性の利害に固執し、それを守る事ばかりにエネルギーが注がれる。これらの性質を明瞭にさせるのが、報道機関やマスコミの存在理由であり、この感覚と間逆の物理性に縋る姿がしばしば映し出され、多くのクレームと表出し、多様なメディアを通して不満が発せられる。これが社会システム上の大きな欠陥と認識され、原理創造型の未来志向を塞ぎ、健全なエネルギーからの成長を奪い停滞させる。

こうした認識が個々人に高まり、目先の歪んだ反応に便乗する事無く、中長期の利益を視野に取った善悪を峻別した行動から、空間の良質な常識が創り出され、公明正大で納得感の高まる秩序と及び、体質という規則性となって文化という性格が捉えられる。

これの主導者が、政治行政を司り、或いは教育文化による観念の普及促進が伴い、或いは経済人の高い志が備わり、統一的なエネルギーの方向が固まり、そこに好循環という言葉が当てられる。自制力や自律心の伴った主体性が現れ、犬猫のような他律的従属性の感性や振る舞いに軽蔑感が作られ、人格や道徳の備わる活動が常態化される。

これを力強く引っ張るリーダーにエネルギーを与え、インフラの水準を健全な値に戻すのが、マイナス性の除去であり、その意思や行いを良く見分けて適正な評論を繰り広げられる人々が良質な観測者であり、正しい道へと間接的に運ぶ重要な役割の認識が作られる。以上のような尺度から、悪性と良性を明瞭化され、裏表の激しい姿や、歪みを正して、健康な気流が増進される。

 

 

インフラの良質性への道

共通的欲望の実現となるインフラの形成とその責任を担うのが、政治行政の役割であり、この現況認識と評価と施策を当たり前に責務と負う感覚の程度から、各人の資質や能力、意識を窺い知る事に成る。これを明示化するのに、理念や信条が高らかに掲げられ、実際の行為で測定される。

この大義の程度がスカスカで、個人的な利害へ偏した振る舞いを見せる事では、個々人の利益誘導的な態度が明瞭に映し出される。

この実態に在る事から、稼業の様相という性格で質実が捉えられ、公の利益やビジョンへの忠実な行為が取られずに、商人という実像で認識される。

経済人に置かれても、この焦点から、実業家としての格が計られ、理念やビジョンを尺度にした公明正大性な意思決定や行為に、社会の公器という側面が現れ、影響力が広がるほどにこの性格が求められ、欲望と力と責任の均衡が計りだされる。

政治行政に関わらず産業経済や教育文化にも適用される原理となり、大きな欲望を抱き、そこに力が与えられ、マイナスを超えるプラスの活動という評価が下される要件となり、

人々からの信頼が寄せられ、社会を牽引される不動の存在と知覚される。

この実質的な観測が、力となり、規模の大きさばかりによる一面の評価では留まらない力と責任を不可分として独立性の概念を適用する成熟社会の価値判断が作られ、良質な社会を創り上げる責任感覚の所在や程度から、期待や要望が寄せられ、更に信用が積み重なり、大きな存在として人々を牽引される主導者という認識が作られる。

この正の存在がいる一方で、逆のマイナスの存在が浮かび上がり、欲望と力と責任の不均衡であるばかりか、マイナス性の影響を発生源となり、空の理念と実態の姿の悪影響を作りだし、利己的拝金性の性質の強い人格面の劣った姿が現れる。大きなパイを広げる発想よりも、ごく限定的な閉鎖性の利害に固執し、それを守る事ばかりにエネルギーが注がれる。これらの性質を明瞭にさせるのが、報道機関やマスコミの存在理由であり、この感覚と間逆の物理性に縋る姿がしばしば映し出され、多くのクレームと表出し、多様なメディアを通して発せられる。これが社会システム上の大きな欠陥と認識され、原理創造型の未来志向を塞ぎ、健全なエネルギーからの成長を停滞させる。

この認識が個々人に高まり、目先の歪んだ反応に便乗する事無く、中長期の利益を視野に取った善悪を峻別した行動から、空間の良質な常識が創り出され、公明正大で納得感の高まる秩序と及び、体質という規則性となって、文化という性格が捉えられる。

これの主導者が、政治行政を司り、或いは教育文化による観念の普及促進が伴い、或いは経済人の高い志が備わり、統一的なエネルギーの方向が固まり、そこに好循環という言葉が当てられる。自制力や自律心の伴った主体性が現れ、犬猫のような他律的従属性の感性や振る舞いに軽蔑感が作られ、人格や道徳の備わる活動が常態化される。

これを力強く引っ張るリーダーにエネルギーを与え、インフラの水準を健全な値に戻すのが、マイナス性の除去であり、その意思や行いを良く見分けて、適正な評論を繰り広げられる人々が良質な観測者であり、正しい道へと間接的に運ぶ重要な役割という認識が生まれる。悪性と良性はこうした尺度によって明瞭化される事でしょう。

 

3-6真の能力概念

感受性や倫理道徳、自制心を能力と捉えない所に、そもそもの誤りがあり、人間を知らずに機能面ばかりへと偏重するならば、需給のミスマッチや過度に力んだ物理性による支配という発想が強まりを見せる。この在り方への違和感を抱かない感性には、どこか崩れた人格と映し出され、人間の概念から外れた能力の弱い主体性と描き出されます。能力という概念を偏狭に捉えて最も重要な要素を外した経済感覚にはブレーキを踏んで、健全な能力概念を再編成する事が要り、哲学や倫理道徳の弱い機能への偏りからは、歪んだ生産や制度、価値観が創り上げられる。

感覚体験を通した感情の形成によって人間の生身の姿を知る事に成り、これが弱いとそもそものニーズを窺い知る嗅覚が育たずに、機能ばかりへの解明と応用に走り人間を作る発想に及ばず、目先の即効性へ偏した片手落ちの生産や社会秩序が形成される。能力という概念はこうした想定から創り上げられ、質実の実感に及ぶ作り込みがあって、真の能力を捉える事に成り、狭く狭く分業化した生産体系から何か大事な観点を抜け落とし物的感覚を強められる事には、誤った軌道を進められ、豊かな人間生活とかけ離れた貧困性を深められる。様々な資格要件にこの概念が抜け落ちる事には、基本設計上の欠陥を生みだし、良質なアウトプットに及ばず、犯罪や不快事象が多発する懸念が浮かびます。偏狭化した感覚を適正に修正するのが、目先の利益と中長期の軌道に叶い、重要点の再認識の上に各種の創造をチャレンジするという論理が浮かび上がります。

報酬体系も真の能力概念から付加価値を算定し、単純な機械性に偏した構成や管理方と実務者との格差への見直し等が求められ、身体作用と頭脳と感情という三作用のバランスの良い付加価値体系へと再編する事が、健康な心身に基づく発想や思考と行為を表すものと感じます。単純性の強まりは、感受性の退化や衰退となり、感覚的実感への認識へと強まり、心理的な側面への価値を弱められ、実感要素の短変数化に陥り目先の欲ばかりを追いかける方程式が定型化され健康な人間概念を弱められる。こうしたパラダイムの再構成が現代の転換期に浮かび上がる重要な課題に思います。

 

3)違和感の少ない人間形成過程

 

二次情報という性格の知識を多く詰め込み、感覚的な一次体験からの知識を得る事の弱まりには健康な精神が備わらない。本からの知識は他人の感覚体験であり、自身の感覚を通した知識に於いて、感受性の育成や成長体験が含まれ、精神面と活きた知識との質実を持つ体形が生まれ、そこに人の感情を伺いながら繊細な感覚を経た知識が積み重なり、良質な精神状態が育成される。これが弱いと妙な優越意識が先行し、二次情報に過信を起こし、人より優れているという意識が高まってフラットな感性を損ない、歪んだ意識から行為に及び、まともな感覚と離れた人格が生み出される。こうした面が顕著に現れるのが現代の特性に見受けられます。教育制度や社会秩序形成上の誤りという感じに映し出され、それへの改革という思索が生まれます。

直接的感覚体験の弱い弐次的三次的フレーム形成には、供給側の偏った利己的性格の観念体系が創り出され、フラットな感性から生まれる均衡感覚と離れた制度や仕組みが強まり、感覚の積み上げによる感受性の形成の程良い循環が、質実の取れた知識の形成と創造に及び、極端な二次情報の入力を短い時間で急激に入れ込むことへの無理がたたり、精神的な異質性という感じ方に映し出される事も少なくなく、生涯学習というスタンスから無理のない学びが備わり、良質な創造が形成される。

犯罪の発生や道徳の弱さは、この極端な人間形成に端を発して生み出される健全な意識との乖離が原因に浮かび上がり、感覚と頭脳を感情を介して創り出す所に、健康な心身が宿される。こうした型式に標準感覚をもち、長い社会生活を形成する事に過度に力んだ状態からの修正が生まれ、物理性と理性の良質な在り方が実現されるという想像が浮かびます。

急激に二次的知を容れて、感情体験が弱いと人間を知る事に及ばず、そして持続的探求が成されないという状態が在るならば、そこにはどこか可笑しな精神状態が創り出され、フラットな感覚と異なる感性が作られて、飛び越えた発想や行為が生まれて、不快事象を生みだされる。権限と責任感覚のアンバランスや、能力と配置の不均衡な姿と映り、健康な心身は映し出されない。

このような因果をどれだけの人々が有されるかは未だ推測の域で在りますが、人間創造上の肝と浮かび上がり、教育哲学や教育プログラムに、こうした要素を取り入れた人間形成に健康な筋道が浮かび上がります。機能的側面と感受性との質量の均衡した状態や、持続的な探究心を備えた活動に良質な心身が生まれ、道を外さない歩みの実現が果たされる。

1)心身の健康

感受性から対象の認識力へ及び、それへの感受性が発生し、方法を導出するのに感覚と頭脳を用いて、快適は増進、不快は減少へとエネルギーが投じられる。この流れから次第に、方法が多産され、物的側面での豊かさが増進され、感覚を使わない環境が生み出された。

人と物との関係が増え、人と人の関係が減少し、感覚的接触が減じて、感受性を経ない事から、その面の劣化や衰退にと回る。感受性の弱まりは、感覚という身体状態の作用に起因し頭脳へ偏した操作性に及ぶ。つまり、科学技術の力を用いるほどに、自身の身体の活用機会は減り、その弱まりと頭脳への作業性が強まり、実態的感覚面からの認識が減り、感受性の弱まりや貧困化へと連なる因果を感じます。このような因果が人と物の関係における実感認識に成り、現況の欲望の生じ方を掴み、人間自体を知る事に成り、それに対する快適不快の感覚が生まれ、マイナスを補う思索へと探求が進み、欲望自体の調整が生み出される。各種生産や法規制・制度の構築への変質が生まれ、その結果を人間が感じ取り、正負の判断を掴み、生産へと循環するサイクルが現れる。自然へも生命を感じる感性が人へと反映され、命と命の対話感覚を持つのと、生命体という感覚が失われた関わりとは、異なる感受性で現れ発想思考行為の相違に及ぶ。対立的な対峙と強要的操作性が強まり、同列感覚がなくなり人間側のエゴが高まり、その充足を基調とした活動が強まりを見せる。それへの満足感が一定程度獲得された分、感受性の劣りへの認識が生まれて、それに対する感じ方から変化の程度が生まれる。

このような想定の下に、人間側を知るのが、文化論の焦点に合わされ、身体感覚と頭脳の作用と人へ対する感受性や物や自然へ対する関わりを知り、どうしたいかの感情を知り、人間自体を知る事に成り、作るという動作が生み出される。身体感覚を用いた生物的な健康管理という面へと焦点が高まり人との対話が増進し、頭脳側の操作性との良好なバランスへ及んで、心身の良好な状態が創り上げられる。こうした志向性への喚起が本書の基調に現れそのベクトルへ向けた施策やベクトル上の強化という性格の論理が各種生み出され、感覚と頭脳の有機性から欲望の健全さに及び、行為や思考が変わり人間が変容するといった一連のストーリーで描かれ、生物的な仕組みと情緒的な側面で人間像が形成されます。犯罪とは情緒的な感受性を根にして作られた各種の制限を超える行為に成り人間の壊れた状態を表しこの状態にある者に力を与えれば社会は乱れるのが自明の理であり根源を取り除く事がシンプルな改革に思います。これ以上でも以下でもなく、淡々と執り行えてインフラの良質性が維持向上される事でしょう。

文化水準の現れと改善過程

「すいません。申し訳ありません」といった失敗を謝罪することばを率直に示す事は健康な感性の現れであり、しかしながら、この言葉で留まる感性には、どこか異常な精神が映し出される。この感覚が想定される主体性には、実際的な感情も能力も見受けられず、実質的な損得を想定した主体性の選択を持つのが、現実的な人々の判断に固まり、失敗や約束を反故にした事に対する行為の実際で真価が計られ、法や制度に過剰な信用を与えずに、個々人の体験から実質的な活きた認識となる知恵や行為が形成される。

この発想の流れが在る一方で、フォーマルな規定の形成や改良を実態に即した運用が行えるように、各種の分析を充て要件の規定を創り上げる活動が併存して生み出される。

損害への規定をあらかじめ定め、実態的な失敗や不快を万が一に想定し、その損害を補てんする事に、誠実さや信用の構えの実態が実感され、現代の商慣行や対人関係の深まりに及び、「すいません、やめて責任を取ります」等という事の不道徳な振る舞いを許さない感度が形成されている。この感覚に至極当然の感情の質実が見てとれ、この異質な感覚を常識と持つ主体への改良が、万が一に対する予防策として思索が深まり、事前型の良質性を作りだすエネルギーが投じられる。社会システム改革等の大きな視点から身近な対人関係という事までこうした視座を持ちマイナス面の回避や予防を考え、実態的な構えを創り上げるのが常識感覚に現れる。

これの以前には基礎的善悪についての認識と実態的行為という初歩的基盤が当たり前に形成され、その上で約束を取り交わす個別の複雑な事柄が想定されて、その履行へと全力投球されて、それでも失敗という面を少なからず想定した関係を作り、上記のような構えが創り上げられる。初歩の基盤の脆弱さは、次元が異なり関係の深化に及ばない。感性の基本的な壊れであり、この認識の弱さは、まともなルートを経て創り上げられる感覚とは大きな相違を持ち、ここに根源の改善点が浮かびます。

政治行政という領域で度々見られる謝罪の在り方や感覚には、こうした民間の感性との大きな乖離をしばしば感じられ、職を辞めて責任をとるかの感覚に、理解の離れた常識感覚が現れる。或いは、物理性への過剰な依存体質から、下限的な法をいとも簡単に踏み超える感性にも、基礎的な道徳を踏み外した振る舞いと映し出され、いずれも文化基盤という面からみると、健全な感性を壊した力への依存症と及び、まともな関係を築きあげる事への困難さが想定されます。

このような根源的な側面を浮かび上がらせて健全な感性を探り、その実態性を高める事が、文化水準の維持や上昇策となり、認識の明瞭性という事から、問題点の絞り込みが生まれて、それへの改良策という過程が創り上げられる。

段階的な区分を丁寧に進行させて、大きな目標へと次第に近づくといった歩み方に実効性が叶い、質実に在った実感を掴む事に健康な感性が現れるように思います。

心身の健全と病気を表す境と思われる所を示して、それへの異同を形成し同質感覚との協働秩序形成に及ぶのが、現実的な実行プロセスに現れる。

以上の想定は、ごく限られた経済行為の一面を焦点にした問題の特定例に成り、実際にはより多数の因果関係の実感があって、細かな問題の認識が創り上げられるものと思います。

 

外界と現場と管理

形式的ルールが創り上げられ、勝敗や各種制限が設けられる。その枠組みの製作が、活動の主体者から望まれる規定で在る事が活きた納得性を帯びるルールに成り、管理型の発想からはこの主体者の側から生まれる発想とかけ離れる。

管理運営側の見る変数と感覚的実施者の見る変数の相違からこのズレが生まれる。両者の側が考える重要ポイントや関係要素を明らかにして、相互の理解を進めて、車の両輪が回り、この相違を曖昧にする事から、対立的な感情が生まれ、良好な発展や成長を阻害する。

何を理由に曖昧にされるか、個々の私欲性を優先し、都合のよい部分に比重を置くとなると不協和音は強まり、対立感覚のままエネルギーの統一感が現れず、強権的な管理運営に陥り現場のエネルギーをふさぎ込み衰退への道を辿る。

または、現場の感覚に偏り顧客を無視した進行から、領域が萎むという流れがあり、その意見を汲み取り集約的方針が現場に伝達され、外界との接点が築き上げられる。顧客の持つ現場感覚の客観的把握が軽視されて、実施主体の現場感覚による身勝手な意志のまま外界を無視して衰退する。

この両面を踏まえた相互調整策が、長い活動を想定した際には不可欠になり、需給の一致や牽引策として現れる。

これが外界と領域、現場感覚と管理型の皮膚感の相違と、相互理解と協働活動の過程に見られ、そして大本には出来る限り近い理念とその解釈の同質性が備わり、いくつもの矛盾を乗り越える調和策が作られる。領域内に理念が留まらず、外界の意思を含んだ理念の成長と及んで、領域の拡大や成長とも見られ、量の増大や質の充実という観点から、これらの方針が現れる。領域が持つ真価の付け方の相違か、利己的個人の性質か、観点の相違によるズレか。

一貫した感度は積み上げ型の体験から生み出される。しかし、その領域からは発見しづらい観点の創出という面が在り、叩きあげ型の感覚と、他の世界での感覚との交わりから良質な施策が生まれるか、悪質な施策と捉えるか、大本の優先価値の同質性がこれらの判断を分けられる。

外界迎合的な領域か、外界牽引型の領域か、その割合感覚やタイミングなど、科学技術という感覚性の力か、情緒的な力か、混合か、

こうした大別で需給構造の認識が生まれ、そして、どこにどんな力を投じるかの決断という作り込みが成され、外界との対話を繰り返し、両面の微調整をどんなスパンで更新するか等の認識と行為の持続的な活動が展開される。

このような活動の観念をある程度備えられて、相互認識の良好性に及び、局所と中局と大局、時の分母感という構造の下に、協働生産や個々人の志向の割合や関係の繋ぎを考える事に思います。全体集約という立場の必要性や、現場感覚の重要性、其々に意義が生まれ、納得性在る進行への意識を持ち、実感を生みながら、大小の成功感覚や失敗感覚を経験し、不変的な価値の認識が形成され、そこからの応用という流れが強まりを見せる。

不変的な価値には、正直、誠実、信用、といった抽象観念で纏められ、その実感規定の取り方に広い幅が生まれると同一感情が形成されない。この微妙な感覚が緊張と緩和の循環という時の重なりを経る事から狭まるものでしょう。

以上のような抽象論と個別性の適用から各自の事実認識や価値形成に連なるという想定が生まれ、共通的プラットフォームの意義が少なからず生まれるように思います。