6.自然律の根源性と展開

自然律には良質な面と不快な面が備わり、前者を伸ばす発想が正道とされる。不快を減少する事が良質を伸ばす事に成りこの視点からの施策として以下のような実践策も浮かびます。例えば、カジノや博打という施設も見方に寄っては、社会の自浄作用を促進する装置となる。恐らくこのような施設で大枚をはたく人々は、財産の入手過程も自身のエネルギーを真っ当に投じて得られたものでなく、過剰のストックをもちそれを吐き出す場として回り適正なエネルギーを投じる人々に財貨が回る。このような捉え方で性格づければ、一定の浄化を促進する施設として、この存在は健康な社会を形成する方法となり、あまり真っ当な発想にはないものの、現実的人間を直視した上での良好化策とも言えるのかもしれません。貧乏人がばくちで大金を稼ぐ等という次元は飛び越えての有効な循環策として上述のような狙いや純粋な節度を持った人々の娯楽として促進される事には反対はない。正負の側面を持つと見るのが根源の人間像であり、負の面を減少に導く等と言わずとも、自然な両面の欲望に自然な反応で創造を成し、正負の結果が学びからの道理と固まり、体験的に蓄積され血肉化された体質と浄化される。

ありのままの正負と、正の増進という理想に立って生まれる発想として以上のような自然律を回し、結果的に良質な発想や考えに真実の世界が備わるという落とし所を意識して価値の堅持された世界が促進される。施設を作る事には、このような背景図面を明示的か暗黙的に備えた上で過度な制約を課す事無く進める事に違和感は少ない。良質な文化へ連なる一つの方法と言っても大きな間違いにはないと思います。寧ろ中途半端な道徳論や浅はかな評論が不健全を促進し負の増大を導出されており、自然律をそのまま回して真の良質を形成する事に道理が備わる。根源の良質性を根にした正直な文化を推し進めるのが的策となり、物理性に等しい責任感覚を求心的な不動の原理とした流れの加速に連ねる価値の堅持は不可欠とされる。