1.5次世界の出現

身近なミクロの感覚に健全性が弱く、マクロや海外の活動を訴求されるのは、どこか違和感が強く、健康な心身を備えた表現には思われず宣伝先行型の実の弱さと感じ取られます。ミクロの積み上げから抽象と個別を循環させ確たる原理が創り上げられ、その標準に普遍性が高まるとそれへの忠実な反応が生まれる。経済的利益からの序列も現れるものの、築きあげられた原理の強さから分け隔てのない行為に及び、宣伝先行的な対象との距離感を創り上げる発想に寄らない活動が展開される。

3類型で取り上げた詐欺的感性は利己性の強い体質にあり、ミクロからの原理を構成された過程が弱く物理依存による行為を見せられる。原理構築より物理の反応が濃厚で、普遍性を探求してきた体質とは大凡異なる短絡的な性格の強い経済人の感覚と思います。

詐欺という所まで行くかは、純粋性の感じ方の個人差が感覚工程の差から現れ、頭脳過多で事象を作り上げない体質にあっては、感覚的な感性が弱くそれを見て詐欺と感じるのが現場よりの感性と思います。つまり、原論と内実の乖離性にこの詐欺という感覚が現れ、まともな経路を通った人の感性と頭脳寄りの整理との感性は明らかな差があり、このギャップが事実認識や行動規範の差と現れ1.5次の世界という解釈差が出現する。

サービス経済化から、無形財に対する感度の相違が生まれ、サービスと実感点の差が形成される。そこにグレーな層が生まれて2次と1次の中間的世界が現れる。このズレが深まって対立性の感情から1次的次元の行為に入り、取り返しのつかない溝を開け根深い確執が長い時間尾を引きマイナス性の気流を留められる。この要素がプラス面を濁らせる原因に成り、なくて良い無駄な部分が生まれ好循環の回転を停滞させる。この事からも解釈のズレへの予防の観点が必然に現れ、感覚と観念の多段構成や重層の表現構造といった型枠を丁寧に示し、コミュニケージョンの円滑性への施策が創り出される。更に長期性の健康概念の形成など感覚と観念の開きを予防する為の型式が描かれ相互理解に資するよう、或いは適正配置へ連ねるような標準像をミクロマクロの観点から導出する想像が生まれる。感覚を通して時を積んで質実の在った能力が高められ、マイナスの連鎖を回避できる素養が備わり、これを省いて頭脳寄りの記憶術に偏した能力を計る事から実際との離れた感性や間違いを生みだし二次三次の被害を拡散させる。

物理依存体質は物質文明を根にして、この短絡性も引きだし健康な人間像との異なりを進行させ、1.5次元の感覚を創る。こうした因果でグレーの動態や負の側面が映り、それへの対策や予防に本書の文化体系が有効に思われます。この安定基盤の厚さが良質な経済成長を齎せる鍵に成り一過性の技術等へ過度に依存しない健康な意思を備えた人間が作られる。

 

文化ビジョンの総括

不動的な根本価値についてのビジョンを以下に表します。盗みという行為が対人関係に於いて最も失望を生ませる行為に成りこの下限が崩れると修復は大変困難であり言い訳の立ちようがない断絶感を生む。これに及ぶ原因分析と予防の施策がミクロ人間像の中枢に備わり文化基盤の崩れを招かない上での初動の視点に現れます。物的感性の進行から単純機械性の経済原理が浸透し意思を持つ人という感性を失うと人の物も自身の物のように扱う傲慢性が増し盗みという行為への歯止めが外れて異常な感性が常態化される。或いは対人上の衝突への免疫が弱まり真っ直ぐに対峙せず逃げの道を選択される精神面の弱まりという推察に及びます。このような面に根本的な原因が見受けられ、物的作用への自己制御を取られる心身の維持が欠かせず、これが人間の柱となる自律の構造になり不動の価値として固められるべき事柄に思います。その基盤が守られて何がしかの欲望と充足の建設的な協働関係が形成され、この過程に於いては多種多様な認識のズレを生みだしながら、相互調整への自制が創り上げられる。確固とした下限の自律があり、創造上の衝突や緩和を成し得る2次元の構造で関係の持続性が浮かび上がります。後者の側での軋轢は、前を向いての意思のズレという性格で在ってここから大きな断絶感は現れないものの、1次元のレベルの事柄には大きな失望感と拒否反応が強まりを見せる。つまり、原理創造型社会や真なる調和性へ向けた軌道とこの下限の自律が密接に絡まり、マイナス面を生まずに建設性の真価を探求する長期の規則性を持続させる活動に不動的根源の価値が定まりこの集約的原理を下にした二次三次の原理の創出に持続的安定と成長を生みだすベクトルが浮かび上がる。そこで見られる実感が内外の一致や有機性概念であり健康な人間像と現れ、これらの焦点を限定して描かれる循環が文化サイクルという認識に及びます。この道筋の認識を強調するのに文字表現による明瞭化を成し人々の意識を強め文化基盤という観念を固めて良好な関係の持続へと連ねる事が意図されます。この筋道が基軸にあってその拡大や延長上に各種のビジョンが配される関係で総括されます。

以上を纏めると、1次元の盗み等の所与的制約、2次元の前進型発想による真理の探究、この間に、利己的偏狭性の強い人々の欺きに見られる活動が見られ、1.5次の曖昧な創造になりここが詐欺という気流の淀んだ対人性を持つ活動であり準犯罪体質・非社会性の発想を常態する。

1次元 下限的基盤、所与的制約、盗み

1.5次元 利己的偏狭性の強い人々の欺き

2次元 前進的創造性 課題解決、好感伸張の人々の営み

前進型発想による真理の探究へと延びてゆく創造活動

こうした次元の異なる精神的世界観が映し取られマクロ的に見ると前2者の負の活動が悪性を広げる動源に成りここを削減し2次元の正の気流を増進させる事が文化水準の上昇と描かれます。これに向けたサイクルを構築し良質性を高め文化ビジョン到達への道筋と纏められます。

 

人間学の導入-実質と根源の喚起

 

人を殺す事を肯定はできませんが、殺されてもしょうがないと思うような人は、いないわけではないと思う人も少なからず要るのかもしれません。現代の感覚的な体験の弱い頭脳過多で小手先の発想に偏した体質は、健康な精神から離れて人との良好な感性の循環と間逆の支配願望を高め、提供せずに奪う志向性の強い思考や行為に及び、陰湿な悪性の根元となって負の連鎖性を広げる事象も散見されます。

この振る舞いには実質上の人間観念が含まれず、法で規定された権利を与えるのも違和感が生まれるのが、健康な感性を備えた人々に在っての感覚に成り、実態の人間性を含まない生物と見えても不思議はないでしょう。法で規定される権利にはこの実質的な人間としての状態が計られて、権利の行を持つのが適正な論法に思われます。

感覚的な体質が弱まり頭脳に偏った人との関係に陥り、健康な感性が備わらず、物理的力をリアルに察知できず、浅はかな振る舞いで精神と身体との分離した状態に見受けられる人々が少なからず生まれて、そこに影響力の強い判断等を任せると、とんでもない社会が創り出される。教育や秩序形成の失敗の産物であり、親の教育か学校での良質な先生に恵まれなかったか、入った会社の躾が間違ったか、何がしかの原因で異質性の高い感覚が築き上げられ負の存在と知覚される。

法で規定する権利は、これらの想定を持ち形成されたものか、根底からの設計と運用を考える事から人間形成過程が設計され質実の取れた頭脳と感覚と感情を持つ人間が創り出される。この標準と外れて重要な要路に備わり力との適正な関係を作り出せず、暴走を働く事への対処策や人格要件の吟味と着任、任命者の責任といった点を根源から熟慮して実施する事に社会のニーズが予測され訴求する意義を感じます。

当たり前に在るという感覚に成る事が観念設計上生まれ、作る過程や検証が弱く社会経験の異質な過程や特殊な職業に就き一般感覚と離れた常識におり、まともな人間と扱われていない事へも気づかない特殊性からは良好なエネルギーが増産される事はなく、これらの予防の観点にも文化論の焦点は有効な論理を提供するものと思います。

標準的な感性は一定のクオリティーを持つ産業経済における取引の中に在り、その型枠の一つとしてISOマネジメントシステムの規格が世界中で事実上の多くの企業に採用されている。ここには、取引における基本となる観念と実態が随所に見られ、中でも旧来的な企業に見られる実際に用いらず作っただけの管理規定等の概念は外され、すべて質実の検証を伴うサイクルが基礎感覚に成る。過大な評価も過小な評価も不適合になり、そしてこの運用から強い倫理道徳が形成され自律の取れた常識感覚が内蔵される。外圧や脅しで従属する子供の感性と自己で律する感性との相違は大きく、この面に人権が与えられる基礎条件があり意思を持つ主体という実感が生まれます。

力を持つほどに、この自律力の面が制御へのカギを握り、それまでの過程にいくつもの体験を重ねられて、適正な判断を生みだせる感覚や知見が作られ、この工程を省いて担ぎあげるような運用から大きな被害が出現する。この面への検証感度を高めて、健康な社会ビジョンと現況が掴みだされ、乖離との是正を計る事が基盤の良質性と描かれます。オーソドックスな型式の社会経験を踏まずに作家やマスコミ等といった異質な世界から知名度が作られて重要な配置に就くような愚策には慎重な判断を持ち、社会を作り上げる事が不可欠なのでしょう。公務員にあっても上述のような人格要件に比重を置いたシステム設計から良質性の向上に連なるものと想像されます。

質実に在った配置を根源的な観点から設計し自然な循環を留めないのが健康な感性の増進に繋がり頭に偏った感性の異常には赤信号が灯される。人権概念がその顕著な一例に成り、当たり前に在るという感覚が可笑しな心身の分離に及ぶと感じます。人間を作り上げる意識の涵養と実現に、本書の文化論が基礎教養として備わり、或いは産業経済活動の重要な基盤秩序として需給相互からの質の確保へ、或いは、政治行政の基礎的重要な資格要件として各所に導入する事も有用に思います。こうした『人間学』の導入と強化が21世紀の健康な社会形成の基盤を強めるものと思います。

内外の統一原理

一部の人間の個人的な行為で、その個人が所属される集団全体へ心象が形成される。
多くの健康な心身を有される人々に対して、異質性を持つ欲望から犯罪に着手され、集団としての性格か、ごく限定的な個人の異質性かという焦点が生まれる。どこまでを集団と構えるか、個人の特性とみるか、その連なりの実感をどうみるか、この冷静な分析が現代人の合理性を表す一つの側面に思われます。絶対性の基準には多くの人の感性が反映されて創り上げられる。それを超えるのは、あまりにも異質な特殊性と映し出すのが適当であり、その認識を強めて相応しい反応を見せる事に成る。これを曖昧にして、看過する事は、多くの人々の意思を踏みにじる行為に成り、それがやがてエスカレートして、ますます異質な常識が慢性化する恐れを生む。

大きな国際社会の問題から身近な犯罪まで、行為の本質的な原因にはそう大きな違いはなく、下限の絶対則は普遍の原理に成り各種の場面に適用される。それを表したのが本書の文化論になり、ミクロの人間の性質が、マクロでの判断にも忍び込み、根本原理から快不快の事象が生まれる。大きな影響力を持つポジションに在る程に、ミクロの性質に厳しい要件を当て嵌め、力に対する責任感覚が備わって、適正な行為を生むとするのが、誰が考えても同様の適切性の基本論理かと思います。
この原理を粛々と適用させる意識の涵養が、下限のインフラとして当たり前に備わる水準の維持と上昇が欠かせない。教育の初歩となり、社会秩序の基礎になり、この事実を隠す事無く公開し多くの人の判断を形成し事象の正確な認識をとりそれに相応しい対応が生まれる。

これを歪める事には、大きな精神的な病理と特定され、相応しい配置に移すのがまずもって対処策に成り、そうした人格を生みだした社会的秩序の内実にもメスが入れられ、事象の連鎖性を探り集団的な反応や感覚で在るのかを精査させ報じる義務が生まれる。下限の規範には敏感な反応を見せるのが、健康な人格を持つ人々の適正な姿に成り、ここには一切の妥協は見せずに、行為への対処と予防を徹底させる感性が必要に思います。原論で色々と表現するレベルの事と盗みや傷害という行為に及ぶ事は、明らかに別物であり人格上の異質性と特定される。

海外の事ばかりでなく、国内上のこうした性質を野放しにせず、オープンな判断を見せるのが内外への良質な表現であり、外にばかり求める偏りを生まず、中の掃除も適切に実施する事が、外へ対する力強い正当性を生む。中の不祥事を伏せる事無く、堂々と改善の姿を見せ、外へも同質の原理で反応を一貫させ、内外の一致した反応を作られる事が、実際的な独立的意思を持った主体の認識に及びます。負への過剰な隠ぺいは、陰湿な社会空間への進行に及び、お飾りの正で装う悪性を深められる。

この二重性の増進から様々な態度や行為に生まれ、心身の分離や心神の喪失、偽善の悪性を蔓延らせる。下限の不快行為においては、原論と行為との明確な境が在る事の認識が弱くなり、それを制御できないものが良質な創造を生みだす事は無い。この徹底した感覚は当たり前の感性と思います。この面については普遍原理から同質の適用を持ち内外という境も次第に、なくなるのが健康の増進と思います。一貫した主体性に信頼性が付与される。けじめの取れない馬鹿に人権等というたいそうな権利は実質的に在るとは思えません。必ず命を取るのが自然律に思います。裁判所の見解を伺いたいものです。

普遍的基準からのアプローチ

提供と受容の適正感覚の面が、人々の関係における快不快を出現させる中心的焦点になる。これを実感する身近な場面が、買い物であり、品物に値札が付いて品物と効用との適正を複数の品物の提供者から選択する自由が備わり、自らの意思で購入する事に成る。

そして、消費に回すお金を入手する職場での公平公正な評価と所得における適正感を実感される場面が生まれ、更にその企業体と市場の関係における適正な競争という焦点が生まれ、消費と所得と生産の3つの適正が、経済産業上の焦点に浮かび上がる。

この取引の外側に、人々の共通的欲望形成の場が現れ、水道電気ガス、上下水道、公園道路等の都市施設、港湾・航空・陸上の都市交通、非常時の警察消防、教育投資、年金医療や介護、マクロ経済政策、軍事・外交、法基盤等々の、公共サービスについての負担と受容の適正感が浮かび上がる。

これらの個別的側面と共通的側面に自立と協働の中身が現れ、各自の領域と共有領域の区分や関係性が生み出される。そして、両面の基盤となる根源的な思想や人間像が長期性の観念として形成され、提供と受容の考え方に反映され、人と人と自然との関係が創り出される。大きくはこの3つの層で人間の世界観が構成され、大局や中局、局所における適正と、大中小の連関にみる適正といった視点が設けられ、事象の発生と実感と、それに対する問題や好感、原因の直接性と間接性の思索が取られるのが、生活の基幹道に備わる。

何を問題や好感と取り上げるか、問題改善型の創造と、好感増進型の創造に大別され、主張や行為で表現される。その表現に、共感や賛否が生まれ、共通実感や問題の解き方、方法の適正という点からの吟味が加えられ、賛成や反対、一部賛成反対等という感性の刷り合わせが起こり、その理念の強弱から適正な需給の絵が創り出され協働行動へと発展する。規模が大きく成る程に、その運営秩序の適正が求められ、厳密な目的や目標、共同体の行動規範が作成され、課題に対する手法の適正化策を整備した活動に及ぶ。

問題や好感の感じ方、強弱、許容幅、速度感、等の反応の異同が、感覚と思想の持ち方から生まれ、生産的立場の特色や長い規則性で作られた感性により、生じ方の性格に現れる。共同体志向の規則性と個人的生産志向の規則性等の相違が、これらの体質となって反応の特性に生まれる。更に細かく見ると年代や性別、両親、学校教育、地域社会の性格、国家の運営、等々の視座が体質の形成に関わり、基礎反応と志向性の形が作られる。

概ね以上のような社会生活の基軸焦点が浮かび上がり、各種の事象への対応や予防策、推進策が描かれると想定されます。どんな切り口での主張や創造か、それがどんな関わりに在るかによって様々な対話が創り出され、維持と変化の方向性と具体策が生まれる。これらの抽象的な表現による中心焦点が「受容と提供の適正」であり、何を基準としてその妥当性や満足や不満を表すか論理構成の多彩性が表出され、実感や解き方、協働性の在り方等が生まれる。このような認識の下に、文化論という普遍的な基準を作りだし、現代社会に見る様々な事象の本質的且つ根本的な原因や対処対策への解き方を提供するのが本書の目的に成ります。

 

社会ビジョンの詳述

社会ビジョンの詳述

良き社会を明瞭に映し出す概念の設計によって人々の共通観念化が進み、その基軸動態に基づいた各種の応用が進行されやすくなる。本書のマクロ観念の設計は、ミクロの人間像を原理として拡大概念で大きな対象を捉えるものに成り、感覚と頭脳と感情の作用を、経済と政治と文化で対照させ大きな循環の系を浮かび上がらせます。健康な人間像はこの三作用の有機的な連なりから生まれ、大きな社会像にもこの三作用を適用して描き出し、健全な社会システムの構成と成長の軌道が生み出される。感覚と観念と感情の三作用の有機的な一体性から生まれる認識行為の健全な型式を基盤として良好な人間像が作られます。この原型を下にして個人や組織、社会という各種の領域構成に適用する。

・ミクロ人間像(個人の構造:感覚と頭脳と感情)

・中間の人間像(企業、産業、自治体等の各種団体)

・マクロ人間像(経済政治文化)

これに各主体性への尊重という観点から欲望の異同という性格を付加して、個別と共通の欲望の概念を当て嵌めると、個別は民間領域、共通を公共部門が主たる担い手に成る。この内容と割合を導出するのが根源の人間像になる。ここに一定の健全な型枠を備え、大きな異質性を生みださない事が欲望と力と責任感覚の均衡への志向を生み、不快事象の予防に連なる。この導出は生滅不可分の概念に対して、生の進行における滅への配慮を少なからず踏まえるのが理性を持つ人間の姿という事から成る。このような哲学的理念を根源の土台に備えた制約とその上での自由という世界に持続的成長を齎す安定と躍動の世界観が生み出され、根源的な観念を普遍の原理と位置付けて健康な個別と共通の欲望が作られる。つまり、ミクロの健康な人間像を土台にマクロ面へと拡張させ社会ビジョンを描き出し、大きな概念の共通性を取る事によって大きな有機体の健康に及び、安定基盤と共に協働性が強まって成長基盤の性格が含まれる。政治と経済に起こるコンフリクトを解消に導く作用といった面で根本概念の意義が実感される。

根本概念は、経済と政治と文化における文化であり感覚と観念の検証となる感情で確認されると共に観念の新設が生まれる。物理的な感覚作用を主軸にする経済活動と、観念寄りの集約作業を生む政治活動との適正感を個々人の素の立場による文化活動で検証し、純粋性の高い実感や感情が表される。その感情とは、理想面と現実面を捉えて妥当性を持つ感情という意味に成り、この思考回路を持つ所に、健康な動機と方法を導出する持続性が生まれる。この構造を標準感覚として物理面と情緒面との適正を導出し、健康な三作用の結果と持続的な向上心を途絶えさせない良質な善と理想へのエネルギーが常態化される。こうしたミクロと中間とマクロの有機的連鎖性の工程が描き出されて、実際の行為に反映され同質基盤性が強まり、その上での個別の自由領域という構造が生まれ、安定と共に自由度の広がる躍動的な発想への寛容さ備えた成熟した健康と成長を叶えさせる。ミクロの健康像という不変的な姿を原理にして大きな協働へと発展させ社会の健康な増進に連なり、極端な物理や情緒に寄る事のない適正感が生まれる。長期の永続性とはこの構図から生み出され欲望と責任の均衡という標準観念と、利他から利己へのプラス的な循環の牽引性が向上し全体としてプラス感情が増進され平和の実感に近づけられる。

CSV(共通価値の創造)等という概念があるようですが、あまりにも底の浅いコンサルタントが考えそうなものであり、上述のような誰もが納得に及ぶような基軸の太い根源からの良質化策が描かれて実際への行為を生む。横文字に価値を置くような従属的負け犬発想の強い文化からの脱皮が要るかに思います。

 

利他と利己の社会法則

 

情報の発信や募る行為におけるマナーを記しておく事も、健全な社会の発展に欠かせない。多くの場合、発信者の事実認識とそれへの評価から方法となる主張が構成される。「○○すべきだ」或いは「××をしたい」という形式で趣旨が現れ、前者はどちらかというと受動的第三者という関わりのエネルギーであり、後者は主張の理解や共感から、資源の提供を意図して創り出す能動的当事者の性格となる。更に進んで、「△△をしました」という活動結果と効用等を訴求し購買に繋げるといった段階別の表現が見られます。○○すべき→××したい→△△しました。

これに対して、情報を募るという型式の表現が生まれる。募るには、評価尺度を鮮明に示し適否の尺度と効用が描かれ、その効用への信頼性が備わって呼びかけへの真剣な対応が生まれる。この各種ポイントが曖昧のままに、優位な立場から情報を集めて恣意的に活用する言わば盗みのような手口を取られる悪性の主体も見受けられます。

情報の審査過程や適否の理由を少なくとも返答する主体であって、対話の公平公明性が確保され、悪意の少ない建設的な態度という認識が形成される。人の考えをお聞きするに際しては、まずは、自身の考え方や予めの進行方法の適正な過程を示して、意見をお伺いできる条件が整われる。この基本的な態度が備わりまともな倫理道徳を備えた主体と見做され道理に沿った反応が創り出される。 

これらの事は、因果応報やギブアンドテークといった人々の自然律の範疇の事であり、欲しいという欲望に対して、まずは何がしかを提供して人から得られるという論理を組む事が関係を形成する基本姿勢に思われます。一方的に、欲しいや得るばかりで、提供しないといった感性が生まれないような社会秩序や人格の成長過程を基礎的筋道と備える事が良質な基盤を固める事に成る。物理性への依存から公平公正なスタンスを欠いた行為が生まれる事には、健全な社会の妨げや悪性の拡大、猜疑心の慢性化といった負の連鎖性を発生させる。主張や情報を募るという行為における基礎道徳として、以上のようなポイントが強調されて、相応しい下限の基準を踏まえた作法が浸透して倫理道徳の具体化となり文化水準の維持や上昇と描かれます。 

一部のメディアに見られる無作法な質問の仕方や、当たり前に人の考えを聞く事が出来るといった姿勢には、根本の自然律を置き忘れた非常識な感性が垣間見られ、それが進行して、一般社会とかけ離れた欲望や体質が創り出される因果と推察されます。

公への影響力の強い立場にあっては、質問への解答を当たり前に求められる義務を負い、対象の性格に寄っての相違は各種生まれる事でしょう。これら強弱感の下に、下限の倫理道徳を含んでの競争原理を作用させる体系の構築から、可笑しな感覚を適正化させる最も自然な方法に成り、過保護による弊害を取り除き、利他から利己の循環と流れを確立させる焦点が人々の良質な関係を形成する基盤と要に思われます。

6.自然律の根源性と展開

自然律には良質な面と不快な面が備わり、前者を伸ばす発想が正道とされる。不快を減少する事が良質を伸ばす事に成りこの視点からの施策として以下のような実践策も浮かびます。例えば、カジノや博打という施設も見方に寄っては、社会の自浄作用を促進する装置となる。恐らくこのような施設で大枚をはたく人々は、財産の入手過程も自身のエネルギーを真っ当に投じて得られたものでなく、過剰のストックをもちそれを吐き出す場として回り適正なエネルギーを投じる人々に財貨が回る。このような捉え方で性格づければ、一定の浄化を促進する施設として、この存在は健康な社会を形成する方法となり、あまり真っ当な発想にはないものの、現実的人間を直視した上での良好化策とも言えるのかもしれません。貧乏人がばくちで大金を稼ぐ等という次元は飛び越えての有効な循環策として上述のような狙いや純粋な節度を持った人々の娯楽として促進される事には反対はない。正負の側面を持つと見るのが根源の人間像であり、負の面を減少に導く等と言わずとも、自然な両面の欲望に自然な反応で創造を成し、正負の結果が学びからの道理と固まり、体験的に蓄積され血肉化された体質と浄化される。

ありのままの正負と、正の増進という理想に立って生まれる発想として以上のような自然律を回し、結果的に良質な発想や考えに真実の世界が備わるという落とし所を意識して価値の堅持された世界が促進される。施設を作る事には、このような背景図面を明示的か暗黙的に備えた上で過度な制約を課す事無く進める事に違和感は少ない。良質な文化へ連なる一つの方法と言っても大きな間違いにはないと思います。寧ろ中途半端な道徳論や浅はかな評論が不健全を促進し負の増大を導出されており、自然律をそのまま回して真の良質を形成する事に道理が備わる。根源の良質性を根にした正直な文化を推し進めるのが的策となり、物理性に等しい責任感覚を求心的な不動の原理とした流れの加速に連ねる価値の堅持は不可欠とされる。