地域の文化力

地方の自治に於いて要に成るのが、首長のキャラクターで在り、市庁舎の空気や町の感性を築き上げる。どんなバックグラウンドを持つかといった表層上の専門性や、幼少期から学生時代、社会人へと至る道の中で、友人や上下関係との振る舞い方等という面に、知識とは異なった人間の本質的属性が浮かび上がる。専門となる知見もさることながら、この対人関係に見る力に対する適正感覚が、倫理や道徳という側面で映し出され、知識や財力等の力の用い方に顕著に示される。

在る一定の全体最適性を求める為の根源的観点は、人々の生身のエネルギーを最大に引き出す大きな動態を如何に描き出すかのマクロの視点と、個々の感覚的なミクロの感性との繋がりと循環を達する事であり、前者の机上的な把握には大凡の規則性が確認されて、誰が見てもそう大きな相違は生まれない。ミクロの創造と需要の面における開発力が、動力の源泉になり、この準備面としての道徳秩序の整備が普遍的尺度となってエネルギーの発生に影響を齎せる。

力に対する媚売りタイプのリーダーからは、この普遍尺度の堅持から外れてもマクロ的数値上の最大化への発想を持ち、表層上の経済を意図される。これはこれで、そのキャラクターの強弱を踏まえた賢明策という評価にも到達する。しかし、それでは場当たり的の一過的事象という性格が否めず、道徳と経済との一貫した循環にあって、気流の太い軌道と持続性への道が生まれ、長く見ると、後者の側からエネルギーの最大性が予測される。この価値をベースにした信用に納得性の高い求心力が集められる。

こうした図式に個々人の理解と同意を深めた真正面からの取り組みに、エネルギーの持続性が生まれ、確かな信用を備えた公正公平な歩みが、良質な文化と備わり長期の基盤と固められる。不正や緩みを生まない一定の緊張基盤が固まり、誰であっても一律の適用による秩序と備え、制約の上の自由の構図が普遍化させられて規範への信用が高まる。

一時の経済的上昇による権力の維持は、いずれかというと小手先の手法であって、個々人に対する誤魔化しの少ない根元からの上昇策を描き、不動的な納得性を高める論理の創出にこそ、長きに渡る成長の礎と固まり、需給相互の健全な成長軌道が生み出される。

現実的には、大地主だからとか、大きな税収を見込める会社だからとか、といった焦点による個別裁量をどの程度考慮されるか、それについての個々人からの納得性がどの程度生まれるか、堂々とした理屈を立てられて、異議の少ない進行を取られる事が、誤魔化しや不信を招かない堂々とした信用形成の歩みと描かれる。

ここに地域のトップリーダーとしてのキャラクターが浮かび上がり、知見という限定のノウハウとは異にした強い欲望と反映される根元の基盤面が現れ、地域力の結晶という姿と知覚される。この感度形成は、成長過程の対人形成面による性格から作り出される。付属的力を排した生身の対人形成の志向の相違が、根源価値の在り方やエネルギーの発生に深く関わり、内向きや外向きという対象への視線の注がれ方に及んで、健全性の尺度からの評価という焦点で把握され文化という体質が浮かび上がる。

物理依存型の内股文化か、内発上昇的原理形成志向の外向きへの対峙か、この違いでの認識が顕著に浮かび上がる。大地主的な土地への執着は、内股のエネルギーとしばしば見られ、創造力の乏しいちぃちゃな御仁が現れるといった指摘も少なくない。幸いにこの周辺には立派なリーダーが目を光らせ、内股を蹴散らす勇ましさが根強い文化と脈々と浸透され、妙な権威に縋り原理の創造を停滞させる気弱で偏狭な人物は一部のようだ。大きな志が比較的生まれる土地柄と思われます。

物理性の焦点

求められる欲望がビジョンに成りそれへ資する力が富の源泉となる関係式が生まれ欲望の質実があらゆる原理の動源に備わる。品物や住居、都市の作りや流通の利便性や規格化が精緻化するほどに人間側の感度もそれに慣れ、少しの狂いも許さない感覚が深まり、人との対話や関係作りにも同質の感覚を欲しがり、ちょっとしたズレに過敏な反応を見せ、用いる言葉や振る舞いの窮屈さに到達する。物理性の原理が人との関係に深まって、感性や表現の多彩性や豊かさを萎ませる傾向が深まる事へは、どこかで冷静な省みを起こし、何を本当に欲しいのかについての問いから、生産や創造の修正を取るのがアナログ的性質を基軸に持つ人間の営みに思われます。

近代からの科学技術の合理性の力に酔いしれて、産業、経済、政治へとこの基礎感覚が増進し社会構造や所得格差と現れて人のモノ化が進行し、貨幣や物的豊かさに対する欲望の単線的な発想が浸透した。この感覚が常識と備わり、身体や精神面の脆弱化された面に対して直視せずに肯定感を強める事から、自己の側へ真摯な対峙を成し心身の健康な正しい道への軌道を持つのが本能的な欲望と思います。物理性へ偏した経済原理で金銭欲にひた走る性格には常軌を逸した心身の状態と映し出されます。このような結果から対人面の免疫が弱まり、生身の接触を怖がり道具への過剰な依存へ傾いた判断や反応が顕著に現れ、道徳の喪失した貧しい感性やひ弱な振る舞い、姑息な発想による個々人の関係や集団間、国家間の関係としてその姿が日々報じられる。秩序を牽引する人々に在っては、第一にこの焦点についての認識を取られる感覚に真っ当な健康体の姿が映し出され、行き過ぎた物的感覚からの見直し策を大局の軌道に備えるのが適正となり、この認識をあらゆる人々と共有し確かな主導を担う判断が求められる。特定空間における固有の現況というよりも科学技術という汎用的力による統一的な原理の反映から起こる一般化現象の性格で捉えられ、共通性の高い快適と不快が感覚的に生まれ人との関係に連なる普遍性の原理と把握される。こうした認識を引き出し適正化の概念を形成する論理的筋道となる一つの感性が本書の文化論における標準図面と思われます。

 

文化伝統の本能

文化伝統の本能
盗み等の犯罪に批判の声が上がるのが普通の感覚であり、盗まれる方が悪いのだというような感性には、どこか馬鹿げた心神の喪失と映し出されます。物理依存症がここまで進んだかという実感が湧きまともな人間がいなくなる事には深い警鐘と共に対処や予防の施策が自然に作りだされる。
このような状態に及んだ原因分析と合わせて有効な施策を導出するのが文化慣習に携わりました人々の変わらない感性であり、短期的な利潤を超えた経済性を度外視した自然感性として特に他領域よりも強い反応が生まれるかに思います。本書における社会システム上の狭義の文化領域と、その中でも伝統的に継承されてきた分野の中枢神経からは、心身を別のモノとして扱う事のない一体的な強い言行が表現される。折からの経済環境の変化によってこの面が壊れかける中にあっても外す事の出来ない原理として体内に深く浸透される人々も少なくないものに思われます。
この人間の根源基盤に長期の価値が備わり自然本能的に歪みを是正する反応が生じ理由が浮かばない行為が生まれ、ここに心身の一体的な健康の所在が確認される。この面がいくらか見える所に人格の実感に及んで信用が生まれ協働や付き合いを始められる人間が生まれる。又は感覚的工程の繰り返しの中で次第に深まる事であり、自己の側を省みず初めから対象への過剰な期待を持ち二次情報での過度な依存で感覚工程に進めず、精神面の軋轢に対する免疫低下や利己的欲望の強い性格が今日的な傾向に見受けられます。ボンボン化体質という集約表現が生まれます。
このエネルギーから各種の思索が深まり有効な創造を模索される意識が途絶えず持続する。伝統文化の実態はこの本能にあり生産事物や行為に現れ、知覚として映し出される。科学技術の力への依存が高まる度に人間側の内心力が弱まり瞬間的な利便性を求める感覚反応が強まるかの因果で浮かび、生じるエネルギーの質に反映される。良質な伝統文化が良質な生産事物へ繋がり良質を感じられる需要側も作る事に成り、この構図を持った活動から不変と変化の良質な峻別が取られ人間性と呼ばれる性質が持続し向上する。歪んだ発想で生計を成り立たせるかの間違ったベクトルは正され、狭義の文化意識が当たり前に堅持され健康なベクトル上での堂々とした競争によって真の光が降り注ぐと描かれます。