2.性善の人間像

知る事に欲望が満たされ、作る事に欲望が生まれないのは、人へのプラス性の感情が少なく、人をマイナス的な対象と捉えられ、喜びを提供したいというエネルギーに及ばず、既成の物事の原理の中で自己に有利な立ち振る舞いへのエネルギーと注がれる。

感情から感覚を働かせ物事を知り、それについての感情が湧き、物事を作るという過程と循環を生むのが、人へのプラス感情を多く持ち生まれる姿であり、この流れを強める創造を高めるのが健康な人々の志向に思います。

外界における生の躍動や喜びの姿に快適感が生まれ、それを作りだしたいという発想がエネルギーの下であり、この強弱の程度が創造事物の性格や大小に反映される。真に有用な様々な観点が探求されて、外界の活き活きした表情を生みだしたいという欲望が対象への観察力を高め、研究心と行動力へと回り作る姿と現れる。

生の躍動に喜びを抱き、滅の増加へ不快を感じられる自然な感性を育てる事が、先に生を授かったものの主要な役割に成り、上述の姿を見せられてその感性が伝播し良好性の拡大へと繋がる。このような原理が持続的成長概念の根源に当たり、感受性の豊かな発生と現れ幸福感が増進する。感覚的欲望は一定程度で逓増化し、感情的な欲望には限りはなく、多くの活き活きした生の姿を生みだせる喜びの充足を生き甲斐とする秩序へ強まる事が文化活動の目的と浮かび上がります。良質な理想画を生み、それへの信用や快適、プラス感情が違和感なく生まれるような活動に標準図が備わり、伸長要因と阻害要因の因果の実感が生まれて、プラスを増進させる終わらない不動的な基幹道が文化の動態と浮かびます。この論理が文化観念の内包と外側の一致に及び方法論を超えた基盤則と備えられ一方向的絶対性の位置に固められる。理由が浮かばない快適性という本能と言い換えられ、変えられない自然エネルギーのように思われます。生まれながらにドロボーの人はいない事でしょう。文化道徳の観点としては、現代のモラルの低下に対して、馬鹿の頭をひっぱたくような役割が社会的ニーズに思われます。

 

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