良質な文化体質

 

法律の扱い方に扱うものの性質が浮かびます。多くの場合、対人関係に於いて法律を前提に関係を組みあげる等という事はなく、好き嫌いや興味・関心という肌感覚の感性から距離が詰まり対話が深まり秩序が出来る。一般化の秩序を前提にする事はなく、相互性で秩序が作られ、それが広がると一般化する。この過程に真実があり、抽象概念化した規制には、個々の事情の細かな想定を切り捨て平均値での集約を取った表現と思われる。

それを自己都合的場面想定で正当化の根拠として、利益を掴むかの発想には本末転倒な姿と映り、法を道具にする感覚からは誠実な対話と離れ、はじめから対象との距離を取った支配願望を見せる事に成る。この感性が深まるような教育や、関係の形成方法という面に焦点を取り、良質な人間像を描く事も正しい道理を強める事に資するものと思います。

観念型の知の詰め込みから、それを真実という発想に陥り、生の感覚形成が弱まり、不可思議な感性を抱いて、フラットな感覚を持てなくなる事に対して歪な精神性という表現が生まれる。このタイプが少なくないのが現代人の姿にも思われ、どこか教育や秩序形成、産業経済の在り方に根本的な瑕疵が備わり道具の使い方を間違えて用いるかの実感に及びます。

ゼロからの組み立ては感覚を根にして創り上げられ、過去の他で起きた事象を現況に当て嵌め進める感性には対象との真摯な対峙と外れ、良好な創造関係とどこか異質の利己性の強い反応と現れる。知の質量とその扱い方とは区分して持つ感覚に適正感が生まれ、知を作る感覚を備えた姿勢に比重を取るので未来型の動態が強まる。

常に新鮮な向上心を継続できるような構えを持つには、平等観念を強く心得た文化感覚の有無がゼロ感覚からの発見を高める事に連なる。固定概念へしがみ付かず良好な感情や感覚を生みだす動力になり、この点を根本面の人間像の主要な構成として良質な文化に成り得る。

現況の制度をどう使うか、又はどう変えるかの、動力源には、良好な感情を自他共に作り出したいという思いから始まり、利益を得たいを先んじる発想が強まると、素の感性が淀み無用な力みが生じる。固定概念の誤った用い方の例であって、感覚よりも感情に比重を取った相互協働性を持ち、解釈や変更を進める所に新たな活きた知が生まれる。

上述の感覚の強い法律家や政治家が秩序を主導するかの文化の形成には、押し付け感や閉塞感を強められ新規の知を創り上げるエネルギーを委縮させる。知の量に真価はなく、作り方や用い方、生みだす量に焦点を取った価値形成に計りの尺度を取って構図を描く共通感性へとエネルギーを高める発想が豊かな社会を創り上げる。

 

根源性の弱まり

 

悪意性の程度を計る理性的な論理形成という踏み込んだ思索を持ち、質の程度を吟味する視点から良質な真価を定める秩序が生まれる。一般類型化した犯罪規定を、個別事象に適用するに際しては、恐らく、事象の客観的な認識と事象を生みだす動機という構造で真価や真意が測定される。前者の側には、人による解釈に相違は少なく、動機に見る真の意図から行為の性格が見定められる。

 

杓子定規に犯罪規定を適用する単純な解釈を取る傾向が強まる事には、真価を計る想像性が弱まり窮屈で創造性に欠ける表面性が増し負のエネルギーの流れと現れ、対人面の許容幅を狭める事でしょう。原点となる人間像で示した通り、人間の正負の側面は多くの人が内蔵される基本的性格であり、ちょっとした判断の誤りからプラス性かマイナス性化の焦点の相違が生まれ、善悪や美醜という二項での示し方には及ばない複雑な性格を持つのが多くの事象の実態と示される。

 

単純模型化して、いずれか一方の判定を下したいという欲望が強まる傾向には、閉塞感や猜疑心の強い空間秩序を強められ、豊かな発想や良好な対人関係の疎外を作りだされる。

科学技術の促進やその利用から、感覚の単純性や機械性が強まるライフスタイルには、こうした傾向に及び実感作用の少変数化を齎せる。一部のマスコミ報道等を見ていると、商業的な煽りたてと見られる事も少なくない。悪玉や善玉と表し人の関心を高めて経済性を求める発想には、正に動機そのものへの不信性や人格への疑念が強まり、大きな犯罪的行為や性向と浮かび人道という面での歪みと映し出されます。

 

局所の事象で大きな価値評価を下す単純図式化や、知名度への妄想的な人格像を過剰に抱き、少しのズレで大きく騒ぎ立て極端な感情を見せる事には、中長期性の構えを外した歪な精神構造が実感される。日頃から本音を伏せた対人関係や、支配的願望の強い搾取的発想を常態させる感性等が対人関係を窮屈にする。倫理道徳となる価値観の形成度等から事象への定見が現れ、本質的な捉え方の差に現れて表層部分での反応を強められる。

 

こうした中にあっては、単純な犯罪と根深い悪性とを識別する実相の計り方が不可欠になり、規則性という面における慢性的感度や発想にみる思考や行為の色分けから、主体の性格を見定め、単一行為に分母を備えた構図化により習性や体質面を浮かび上がらせる観点によって真意や真価を精査する事が望まれる。負と正とが少なからず混在し合算で見る感覚や割合感での掴み方やマクロシステム上の不健全性や、長い時間のフレーム等から、対象と自己との客観性を含んだ重層性が現れ相互性を増した感性が形成される。

 

特定事象への評価を下す行為の重みを備えた感覚に健康な精神の所在が確認される。

人が人へ評価をする事の軽々しい作法が進む事には、機械的な単純尺度の強まりと浮かび、

平等思想の感覚を壊した物的原理の進行と映し出され、普遍性や根源性の弱まりには慎重な改善策を進める発想が現れます。時短感覚は感受性の貧困化に連なる因果を少なからず感じます。