文化政策の中心焦点

腑抜けたリーダーがお飾りである空間秩序は直した方がいい。腑抜けを生む原因は、人的要素か構造上の問題に大別される。教育や家庭での躾、企業でのモラル、地域の負の伝統、業界の慣習、国家行政の体質、国家間の秩序といった焦点が現れます。端的に言うと腑抜けとは欲望と力と責任感覚が偏り各立場で求められる責任感覚と欲望の不均衡を指す。

この以前に、どの立場であっても所与として求められる事が、盗み、傷害、詐欺といった行為の類型と取り上げられ、ここが狂った感覚では各種立場での行為も連鎖的に可笑しな感覚が生まれる。この後者の感性に一定の常識のない人を作らない為の規制が明瞭化され当たり前に備わるものの一線を越える異常者が散見される。規制に関わらず自主内発的に備わるべきはずの感覚が身に付かない人格形成過程に瑕疵があり、ここが健康な社会の下限的急所と置かれ、水準の下落を予防するのが共通的欲望領域を担う政治行政の第一の役割に思われます。この観点に重心を取りその原因を二次三次と特定し、有効な施策を複合的に執行する事を、多くのまともな人々は望まれる事に思います。

 権力の直接的担い手や財力を持つ人々にこうした感性が弱ければ、それらの力は暴走と現れ欲望と力と責任の崩れた状態が強まり、倫理道徳の備わらない経済性の秩序が蔓延する。権力はこれを予防するのが一義的役目という認識が当たり前に思われます。粛々とその問題の根源に着手して、且つ二次三次の施策を取り入れるのが適当なのでしょう。これを出来ない事について腑抜けという声を上げ、多くの力を集める試みが欠かせない。

力に縋る体質はこの状態を正当化され利己的性格を露わにし、社会の良質性を妨げられる。この二次的悪性の姿も明瞭に映し出し、性質の真相を広く周知させる役割が報道機関やジャーナリスト、学者等という人々の責務となり、その任務の執行に尊敬や権威が生まれる。

このような基盤的感性の健全性を落とさない意識が良質性の根に成り、その上で各種の創造が適当に開花し良質の連鎖が生み出される。生滅における生の最大化は、基盤の根っこが強くしっかりと地面を掴み、エネルギーの吸収と発散の良質化を生み、思考や行為の健全な軌道を常態させ、枝葉や実に成り表に明瞭化される。この循環系となるインフラが、長期の文化という規則性を表し総体的な良質性を計る尺度とされる。

 それを牽引するという感覚が社会システム上の要路に備わり、共通の問題認識が生まれて、エネルギーの投じ方に適正が生み出される。しばしば見受けられるのが、こうした図式と間逆の姿に在る性格が要路に居座り、利己的な欲望へ偏したエネルギーを投じる姿であり、これら力の暴走に対して同質化する事無く、人格の崩れにタガをはめ自主内発的力の弱い連鎖性を留める個々人の意識と行為の維持と上昇が欠かせない。

 過剰な短期性の欲望がこの基盤的崩れに乗っかり、中長期の欲望を壊す姿が強まる事には警鐘が鳴らされ、適当な欲望と責任感覚へと戻す作用が重要になり、文化観念の創造や普及、浸透がこれへの一つの対応策と描き出されます。各種業界の特質が現れ、この面の異同や強弱が見受けられます。社会システム上の中枢には、こうした問題の根を捉えた施策の投じ方が望まれる。文化の根底となる事実や価値という観念に対する確かな認識が出発点に成り、この面も含んだ文化政策として本書は構成されます。

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