普遍的尺度と自己生産規定との間に、いくつもの目標点と掲げられる各人の色合いが生まれる。大きな所での根源性には同一性が生まれそこを緩やかに備えての不満や満足の側面が現れる。個々的な現状と理想の構図がこの反応を生みだし維持的スタンスか挑戦的な活動かの異同と知覚される。
活動は、感覚的な接触が基礎に成り次第に観念的な考えと纏まりそれが感覚を選び、質と量の積み上げが成され大きな発見的出会いが質の変容を齎せその型式での量が生まれる。協働と自立の関係も点となる縁で接点が起こり関心の深まりや広がりを持つ過程が生まれ感覚面からの積み上がりで共通の観念が形成される。
感覚的接触を避けては観念は深まらず、真摯に直接対話を持とうとしない性格とは協働性も深まらない。間に何かを挟んで二次情報を過信する関係に発展はなく直の一次体験を避け距離を作りリスクを取ろうとしない性格とは協働性が生まれない。自身の価値と思考と行為の完結的な主体性の弱い体質は感覚的工程での軋轢に免疫が生まれず、受動的にリターンばかりを欲しがりリスクを避ける。真摯な対峙を感覚的に常態と重ねない物理依存症との強い協働関係は築かれず、一方向のフェアなスタンスを外す行為からは良質な共通感性が創り上げられる事はなく、平等観念の知肉化された体質が、感覚先行の行為と実質的な協働生産へのエネルギーを増強させる。
集団的自衛の観念は感覚的な協働性に本質があり、リスクを実態的に共有する行為の実感で確認され、二次情報や二次的意思とは異なる自己の感覚による一次判断と行為を持つ主体的関係で生まれる。いいとこどりや口先で留まる関係からはこのエネルギーは積み上がらず育たない。結果という概念の一つはこうした事象で表され、自身の判断を完結的に持っている部分の弱い人格や顔の見えない主体とは実感に及びづらく、盗み体質や感覚的行為を避ける性格や、間に入って自己の意思と行為を見せない主体的性格の弱いものは物理性の依存症と見做され、真摯な対峙とリスクを投じて協働を作るエネルギーが脆弱で一過的な利用関係という対人性を標準体質とされる人格の見えない主体性と映し出されます。感情と感覚を根にした観念の共有に人間像の標準となる姿が描かれ、堂々とした真摯な交わりと積み重ねと協働で自立と共生の良質性という結果に及ぶ。姑息性や過剰な利己性はこの阻害事象と特定され有機性が強まらず、頭脳よりの体質には、身を投じた意思のある主張や行為に届かずロック的感性が生身の人間を作りだすポイントに思われます。
二次情報は他者の感覚であり、一次情報に質実があり、無用な観念ばかりをため込んで創り上げる感性が弱まり、直の接触もなしに単純な判断を強められる傾向には物理依存の感性の現れと思われます。利己性の強い見栄や面子が真摯な対峙と感覚を避け実感性の弱いフレームで留まり利用の発想が増し、共に作るや育てる感性を深めない傾向には無機質性の力の暴走という危惧が現れ、心身の良質的な形成には一次体験をベースにした人格形成に健康な姿が映り、熱が先んじて論理が生まれる動態に健康な心身の所在が映ります。一部マスコミや知識人と呼ばれる病的性格は顕著な例でありそれを許すような諸条件は取り除くのが良質な文化の形成には必要に思います。
良き集団の協働関係を創り上げるのは感覚の真摯な対峙から上下左右の有機性が生まれる。不審な行為を取られる者が上に備わっては看板ばかりの組織体が作られエネルギーの分散を齎せそれが結果に反映される。