自主内発性

平等観念を単純に解釈する向きの論調がしばしば見受けられます。独裁にも見方によっては平等的な観念が含まれ学者の単純模型化した言葉に縛られる必要は全くない。過去の事象から抽出された二次情報をそのまま現代や自己の実情に当て嵌める必要もなく、対象との真摯な対峙から観念の中身を創り上げるスタンスが感覚からの観念化であり、「平等」という言葉も多様な作り込みや実感が生まれる。学問的な知恵は方法の一つに過ぎず、自らの観念形成を軸足に取る事が自然な姿に思います。この主な形成過程が需給構造という相互対話の場所で在り市場の特性によって、感覚からの観念形成に異同が生まれる。短期性の有用性から中長期の欲望形成という多段的連鎖が生まれ個別市場と政治行政や文化教育等からのアウトプットの概念との有機的な関係で形成される。

平等という言葉の意味が以下のように謳われている。平等:すべての物事に差別をつけない見方。差別:1あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。「両者の―を明らかにする」公平:名・形動]すべてのものを同じように扱うこと。判断や処理などが、かたよっていないこと。また、そのさま。「―を期する」「―な判定」(Goo辞書より)

人々が、永年の時をかけ様々な理不尽を乗り越えて創り上げられた観念に思われます。これを論理的フレームで体系化するならば、何がしかの基準があって差の知覚に及び平等という観念が生まれ、標準の取り方が焦点におかれる。

標準とは、作るという行為に照らせば、作るまでの標準、出来上がった標準、標準の適用、の3区分が置かれ、実態に見る平等、形式的な平等、機会の平等、配分の平等、といった観点が付加される。これと同時に領域という概念が備わり、その限定化での標準という論理が添え置かれる。領域は空間と時間の概念と浮かび、領域概念:個別と共通と根本、時間概念:短中長期となり、前者の領域概念の導出には、人々は同じでなく差がある事を自然に認めるものでありその上で良好性を作る為の3区分として強調されます。

本書の文化論の根源のスタンスはありのままの感覚を正直に感じ取り、そこに正負の反応がおこりそして正を伸ばし負を減少する発想をもった前進性におかれます。実際の感覚に目をそらす事無く良好性への創造へエネルギーを回すものに成ります。過剰な美化は止め醜さに目をそらさず良好性は創り上げる意識に在って叶えられ、この程度の強弱差に一定の制約を設ける努力を成すのが人間と描かれ、外圧や強制、指示に寄らない自主内発性が含まれる事に意思の所在が確認され、犬猫とは異質の自律心が備わり主体的存在と規定され人格が現れる。

この3区分は知覚表現では単純に示せるものの、実際の生身の感覚では容易なことではなく、永遠に渡り人々の課題におかれ、そして意識に備わる事で人や物との良質性が形成される。不動的フレームとして備えられて持続的探求という真正な認識や活動に繋げるインフラと作用する。

これをより具体的に示すものが、有機性サイクルであり、謙虚さ→寛容→対立→自制→循環と描かれました。合わせて細かな観点を立てたのが健康像の構成となり人や物との関係から物理性と理性との適正な姿と動態循環にみる健康概念が生まれ標準像が形成されます。

一定の不変性や不動性を設ける事は、安定的な秩序の形成にとって望まれ、そこから時々の共通性や個別が生まれ、基盤の上の自由の構図を持つ事によって健康さが維持されると描かれるものです。こうした論理が標準と構成され、そこから見る誤差の感覚が現れて一定の制御ある運動が作られる。このような世界観の下の平等という構図が生まれ各種の創造や協働の中に反映される。以上のような大筋のストーリーとなり各所のキー概念について以下に取り上げております。

 

 

 

1-2主体的人格

 

普遍的尺度と自己生産規定との間に、いくつもの目標点と掲げられる各人の色合いが生まれる。大きな所での根源性には同一性が生まれそこを緩やかに備えての不満や満足の側面が現れる。個々的な現状と理想の構図がこの反応を生みだし維持的スタンスか挑戦的な活動かの異同と知覚される。

活動は、感覚的な接触が基礎に成り次第に観念的な考えと纏まりそれが感覚を選び、質と量の積み上げが成され大きな発見的出会いが質の変容を齎せその型式での量が生まれる。協働と自立の関係も点となる縁で接点が起こり関心の深まりや広がりを持つ過程が生まれ感覚面からの積み上がりで共通の観念が形成される。

感覚的接触を避けては観念は深まらず、真摯に直接対話を持とうとしない性格とは協働性も深まらない。間に何かを挟んで二次情報を過信する関係に発展はなく直の一次体験を避け距離を作りリスクを取ろうとしない性格とは協働性が生まれない。自身の価値と思考と行為の完結的な主体性の弱い体質は感覚的工程での軋轢に免疫が生まれず、受動的にリターンばかりを欲しがりリスクを避ける。真摯な対峙を感覚的に常態と重ねない物理依存症との強い協働関係は築かれず、一方向のフェアなスタンスを外す行為からは良質な共通感性が創り上げられる事はなく、平等観念の知肉化された体質が、感覚先行の行為と実質的な協働生産へのエネルギーを増強させる。

集団的自衛の観念は感覚的な協働性に本質があり、リスクを実態的に共有する行為の実感で確認され、二次情報や二次的意思とは異なる自己の感覚による一次判断と行為を持つ主体的関係で生まれる。いいとこどりや口先で留まる関係からはこのエネルギーは積み上がらず育たない。結果という概念の一つはこうした事象で表され、自身の判断を完結的に持っている部分の弱い人格や顔の見えない主体とは実感に及びづらく、盗み体質や感覚的行為を避ける性格や、間に入って自己の意思と行為を見せない主体的性格の弱いものは物理性の依存症と見做され、真摯な対峙とリスクを投じて協働を作るエネルギーが脆弱で一過的な利用関係という対人性を標準体質とされる人格の見えない主体性と映し出されます。感情と感覚を根にした観念の共有に人間像の標準となる姿が描かれ、堂々とした真摯な交わりと積み重ねと協働で自立と共生の良質性という結果に及ぶ。姑息性や過剰な利己性はこの阻害事象と特定され有機性が強まらず、頭脳よりの体質には、身を投じた意思のある主張や行為に届かずロック的感性が生身の人間を作りだすポイントに思われます。

二次情報は他者の感覚であり、一次情報に質実があり、無用な観念ばかりをため込んで創り上げる感性が弱まり、直の接触もなしに単純な判断を強められる傾向には物理依存の感性の現れと思われます。利己性の強い見栄や面子が真摯な対峙と感覚を避け実感性の弱いフレームで留まり利用の発想が増し、共に作るや育てる感性を深めない傾向には無機質性の力の暴走という危惧が現れ、心身の良質的な形成には一次体験をベースにした人格形成に健康な姿が映り、熱が先んじて論理が生まれる動態に健康な心身の所在が映ります。一部マスコミや知識人と呼ばれる病的性格は顕著な例でありそれを許すような諸条件は取り除くのが良質な文化の形成には必要に思います。

良き集団の協働関係を創り上げるのは感覚の真摯な対峙から上下左右の有機性が生まれる。不審な行為を取られる者が上に備わっては看板ばかりの組織体が作られエネルギーの分散を齎せそれが結果に反映される。