個々の私的感情が前面に現れる評論が多々見られる。利益を求めるごく自然な姿にも思えるものの、マクロと根本や大きな動態を含めた個別の焦点という構成を取られる事で、私的利益の妥当性に説得力が加えられる。
生産的立場の役割が、他者との相互性の過程から構成され、基本的な利益の性格が備わる。
自己領域を内外による関係で性格づけ、内からは根源に備わる動力源と吸収の根元と基礎回路となる基幹動態が備わり、枝葉の部分にアウトプットの成果が現れ、それを外部領域からの意見交換で多彩な評論や賛否の声が確認され、正負の反省の下に枝葉の剪定が加えられる。負の部分が根元に回り貴重な経験と蓄積され、基幹動態への変化過程の重要な変数と置かれる。
内部構成の「動脈源、基幹動態、」外部との接点となる「枝葉や実」そして、外部の意思という主要素で循環過程が生まれる。この過程に流れるエネルギーが、動脈源の動機と外部からの意見とを勘案して作られる一つの思いや感性になり、この部分がエンジンを回す熱と位置付けされる。火が点火され思いが強まり、エンジンという装置が創り出され、外部出力の仕組みが生まれ、アウトプットの産出に及び、それらの姿に他者からの賛否が起こりそれが熱に反映される。負の部分から熱を冷まし、正で熱が高まり、温度が再編されて、エンジンや出力、アウトプットに反映される。
表現者という面から見ると、発言や評論がアウトプットであり、それらへの評価が加えられ、相互性を持った循環の系が生まれる。要素と要素関係で、事実や価値が表明され、その感性に対して、他の要素と要素関係を持つ人々との異同が衝突し、多彩な感性の交わりが生じる。マクロという範囲の大きな想定の視点や、人間の根元に在るべき倫理道徳観からの指摘等から、特定の主張に対する成否や程度が加減されて社会的対話と浮かび上がる。
この質実を一定に保つ上で、ある程度の生産領域を限定して、アウトプットの成果に及ぶよう内実を高めるエネルギーが投じられる。何でもかんでも思うがままの批評という底の浅い利己性に成らぬような、一定の動脈源と基幹動態を備えた主体が作られてアウトプットを生みだす姿に妥当性や説得力の及ぶ産出が現れる。この形態自体が一つの倫理道徳の現れに成り、主体性の見える生産者という知覚に及び、自律の生まれる制御と訳され基礎的な善を内実した行為と常態化させる。外界との需給構造とアウトプットといった必須の健全性を保つ要素を含んで、体質の持続的維持が叶い対象との真摯な対話が果たされる。生産的立場を構成する以前の根源に、万人的立場として備えられる平等感覚を含んだ人間像の堅持が、あらゆる生産に健全性を含ませる作用と位置づけられる。ここが崩れるほどに生産へ歪みと生まれ、相互対話性の弱い性格が強まり力の良質な用い方を外した異質性が生じ需給構造の持続性を途絶えさせる。この自然作用が当たり前に回る事で不健全な性格を持つ主体が適正な配置に回り良質性が表に現れる。
こうした論理が文化という根源のエネルギーに備わり、人々の良質な熱の維持や上昇に欠かせず、この標準形から見て阻害と伸張要因を特定し各種の施策を講じるのが固有技術を適正に運ぶ管理的業務の役割に思われます。そこが、阻害の原因に成るかの事では正しく本末転倒という姿と知覚される。