良質な光と影の持続性

文系的表現の粗雑性は「割合」という観念の弱さから生まれる。割合感覚は、分母と分子の構造で表現が生まれる。「○○でない」とか「××である」という一方の断言に結ぶまでの過程や内容を構成して明示する所に判断の内実が現れる。断言する所だけではなんら意味を持たず、後者の内実を割合で構成するのが適正な理性水準に思われます。

この観念を欠くと極端な表現が生まれ、対象からの感受性を弱め短絡化した体質が生まれ物理性の欲望が高まり対立的な関係性を創り上げる。単純感性や短絡化の発想は、物理性の概念で、共生協調面を抑え込む発想を強め、その行き過ぎには、健康概念との開きを作り多彩性を均一化へと運ばれる。

この流れが強まる事に対して、どう感じられるかに適正の内実が生まれる。感覚性が強まる欲望や表現は、何がしかの誘導性や利己的性格の強い扇動的行為と現れる。対人的良好性を含めて、対象との真摯な対峙や相互対話性を開く所に人間の共生面が映り平等観念に基づく姿勢や態度が生まれる。そこから対象の丁寧な感受性や表現に、「割合」感覚が現れ健康な心身の所在が確認される。

犯罪を認定する構造も、要件の規定と適用に実感点が置かれ、事象の性格を動的流れと程度で割合をはじき実感の程度と表される。要件規定の絞り込みと事象との比較は、観念と感覚の適用となり、観念自体がどの範囲の事柄を想定するものか、広狭という割合感覚を持ち因果の縦横的な特定が作られる。横の広さと縦の深さという割合感を備えた現象化に、認識の異同が狭まりコミュニケーションの適正が作られる。

あまりに理系的な厳密性を求めて、ズレに過敏反応を生むのも不快性が生まれ、適正感をどの辺りに持つか、この観点を常態する所に感覚の制御という理性の作用が生まれる。

感度の近い所に安心感が生まれ、その一方での相違や変化の面との両方による循環で緊張と緩和の世界が生まれる。その制御は、平等観念を反映した心身の健康観念になり、感覚と頭脳と感情の3要素の有機性を人々の集まりで構成する人間観で協調や共生の姿が生まれる。このベース観念の下に、自立や変化への理解を運用と共に集められ、生に力が加えられ個と集団の良好な成長軌道が形成される。速さや強弱、暑さや寒さ、熱の入り方、といった感受性の割合を示す観念に、人々の活きた動態を表す感性の所在が確認される。

これに至る構成に、対象範囲の重層的工程が描かれ「○○である。」に向けた多段的道筋や、根元の不動的観念から基幹動態の過程が作られ、枝葉を生んで実を授かりやがて土にかえり幹を残す有機性循環図が、時間的連なりの面での割合感覚を生み、良質な感情の創造に連なる。

物理的感覚性が科学技術との関わりから深まり、単一的直線型の表現が多発する事には、対人上の不健康な姿を増進し感受性の貧困化を招かれる。物理性の深まる粗雑な対象化や単細胞の志向と行為が増し平等観念の崩しを進行させる。便利な社会と豊かな社会との性格を峻別した創造に健全な成長の方角が映ります。

以上のような観念的世界観に平和や調和と躍動の概念が含まれ、この観念を最大分母に備えた全体調和性への軌道を確保するという絵で纏められ、感覚と観念や文理の融合と訳されます。このベース感覚を少なからず備え現況の健康度を計り、取るべき所では思い切った決断に踏み込む場面が生まれる。

盗みという行為は、利己性の最たるものであって主張に留まらず下限の一線を越えるものであり、ここにあっては明らかな人格形成上の失敗という実感に及びます。この過ちには、誠実な謝罪を真摯に執り行えて、修復への軌道が生まれ、それを通らずには病的体質は改善されない。誤魔化しの上塗りで、一線を踏みとどまれない慢性化した感度が作られる。一度やれば二度三度と繰り返し異質な常識が備えられる。そこに大きな力を持たせれば、その常識が広がりを見せる。基幹には間違っても配置できない性質であり、早期の切除による対処を望むのが、多くの健全な人々の要望に思われます。

日本画家 横山俊一

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