「言いきる、断言する」表現がしばしば見受けられます。率直に感じる印象は、あまりよろしくなく、少なくとも根拠を明示して適正感が現れます。良い悪いや、それをどうとるかは受け手に在り相互性を含ませるのが平等思想を実践される姿と映ります。立派そうな学者だからとか、実績等に甘んじることなく、一流人の変わらぬ姿には、少なくとも不完全性を含んだ表現作法が意識されて、社会性を持つ主体という認識に及びます。フラットな感覚を外して過去の栄光や肩書に縋り、基本姿勢を疎かにしてはメッキがはがれ信用を落とし、ここにも不動性が映ります。
もちろん事柄の性質によっての表現作法で在り、影響の質量を予測されて場所と時と内容を勘案の下に相違を作り、硬柔や強弱、精緻度が組みたてられる。表現者の思う感性からこれらの思索を経て、受け手がどうとるか、発して感じ方を実感して適正幅に修正する循環が生まれる。この許容幅を程度に持ち、ピッタシ等という事は大凡なく微調整を持つのが多くのケースでありそこに衝突や大小の軋轢が生まれる。これを過剰に恐れた反応では建設的な創造が生まれず、過去からの強い歩みが備わって少々の波風に揺るがない振る舞いと現れる。
肝に成るのが事実認識と動機や価値構成になり、前者には完全性を求めるものの後に事実が浮かぶ事もあり、後者の面には健全な精神を宿した行為を要件に、どんな欲望や利益を意図した創造かで計りだされる。獲得する作法の健全性が問われ、断定表現を用いる際には確たる論拠の提示が、過去からの対人形成の歩みと浮かび、信用構築の感性や程度と現れる。これに資するのが、物事への思慮の深さになり、動静観念や平等観念等の哲学的な側面から、表層の事柄を整列させる確信的な視座による性格付けが生まれ、浮ついた抵抗を撥ね退ける強い論拠が構築される。
こうした点から、基礎哲学の素養の意義が生まれ、倫理道徳や認識作法、表現作法という人間像を基にした対話や関係形成の確かな標準形が生み出される。物理的力に偏して理性的な感覚を喪失しては良質な気流を妨げられ、ここに一定の型枠を揃えたいとする欲望を持つのが多くの人の感性に思われ、本書の創作もこれらの動機を含む起案になります。
真実の探究はオリジナリティーを備えた一次情報を核にした体系から成り、その形成には真っ当なエネルギーの積み重なりから骨を持つ倫理や道徳に及び、断定表現には確たる論理が添えられる。学者や表現者にも様々なタイプがおられ一流と呼ばれる人々には、以上のような共通性が確認されるものと思います。
表現と哲学
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