サービス経済化から、事象についての様々な見方を提供する知的創造というニーズが進展し、それに応じる提供者の類型も様々に現れる。この発言者の性格も、いくつかの観点から作用の相違が生まれ、観測の立場から評価の立場、事象を生み出す当事者という主体性の強まりに及ぶものまで、その線引きの明瞭化も容易なことではないのが、知的創造者の多彩な性格となって現れる。その識別に際してのいくつかの観点を提供する事も実態を浮かび上がらせる一つの思索になりえる。
直接事象と間接性の区分
・事象との距離感、
・受動性と能動性
第三者的と当事者的
・事象の当事者、
・解説者、批評家、専門家、コメンテーター、等々
こうした事象の多くの意図は、人々から共感や支持を得られる論理構成力や、その信憑性を提供できる情報表現力に、資源が集まり、その表現の具体的実感への工程へと進行する。
これがいわば欲望と充足の関係に成り、需給構造や協働関係に及ぶ、因果を示す事に成る。つまり、説得力の及ぶ論理構成の一つが、文化観念と備わり、その土台から派生する二次三次の論理の構造が創り出され、主導的起案や快不快の増進や削減という働きに及ぶ。動態論理の不動性と、中期論理や短期プランの関係性が明らかになり、文化観念の付加価値の程度が計られる。
論理とその実感性、論理発信主体への信憑性、これらの総合で信用力やブランド価値が形成され、次第に観念よりでのブランド価値が独り歩きして、名称のみでの信用から、選択や支持、親近感という無形性の価値が増大する。虚像的な作用を拡大させ、それが行き過ぎると、非合理性というマイナス性へと及び、健康な関係性を阻害する事から、適正な実感の取り方という焦点での制約が創られる。
信頼や期待感が高まる毎に、それに応じた実質的な厚みや深さが伴う事で、適正な名称と実態の関係が生まれ、何れかに偏すると不信から、求心力や支持基盤が壊れ、瞬く間に人心が離れて、価値を失う。一度失った価値を挽回させる事は容易ではなく、信用を欠損させた主体という心象は強く残り関心領域から外される。
これらの作用が自然律と回り、新陳代謝や浄化作用が働く事が、健康な動態や動脈となり、それを妨げる事柄に、停滞や成長への阻害性が特定され、それを取り除くことが賢明な施策に成り得る。物理性過多による弊害は、理性を弱め、健全な気流を停滞させる。このような認識の下で、力と責任の均衡を創り上げるのが、適切な反応になり、社会関係の根本則に成り得る事でしょう。
マイナス性の除去という余り関わりを持ちたくない側面成りますが、これを放置する事は健康な体質を蝕み、間接的連鎖によって次第に直接実感に届く事から、他人事では済まされず、その動力への対策へエネルギーを投じざるを得ない。適正基盤は、創り上げるものであり、能動的なエネルギー投下によって形成される。それに尽力した分のリターンは必然に回る事が自然律であり、その恩恵を受けながら、ただ乗りする悪性は淘汰の対象というのが、自然な意識の作用に成る事でしょう。
この曖昧性は、マイナス性の曖昧さであり、しっかり浮き彫りにして、美醜を判明した行為が望まれる。現代的な特性のひとつに、こうした見えづらい悪性が蔓延り、これを明瞭にさせる作用は、真っ当な人々の高い要望の一つに思われます。こうした事の積み重ねから、基盤という大きな欲望が達せられ、不快の予防に到達し、それらは自然に回るものではなく創り上げる対象と確認されるものでしょう。リスクを取らずに、リターンを得る等という醜さは放置する事無く除去するのが自然の理とおかれる。こうした認識や感度の健康な主体に力を集める事が必要になる。上記の論理はどちらかというと守りや基盤側の側面からの改善策となり、創造や攻めと同時に取り行うべき事柄になり、いずれも深く密接な相互関係を持つという認識に適正な感度が映りだされます。
こうした全体観を持ち、各種の改革や改善、政策を位置づけて、訴求し支持や共感を高めるのが理性的な表現作法になり、攻守を一つの動態上に並べてその因果の実感で説得力の向上に連なり顔の見える主体が創り出される。これらの発想に謙虚な姿勢や態度が現れる。誤魔化しは効かない世界に在る事を自覚させ、相応しい健全さに向上させるのが自然かと思います。